立ち小便
浴衣時代の父は、暑い季節は浴衣を着ずに、下着(アンダーシャツとステテコ)に下駄で近所を散歩していた。2008年の北京オリンピックの前に、下着姿で外を歩くべからずと中国政府が男性国民に注意を促したことを聞いて、半世紀前の日本の風俗と同じだと感慨深かった。東京オリンピックの前に池田首相も釘を刺した。... 続きをみる
丹前
世話焼きの母は父の出勤時に、父がネクタイを締めている間にソックスを履かせる。この話を聞いた母の友人の誰もが、「旦那さんに毎朝靴下履かせたげてんの!」と驚きの声を上げるので、よその婦夫はそんなことをしないらしいと分かった。父は家では浴衣を着ており、冬は浴衣の上に丹前[たんぜん](どてら)を羽織る。... 続きをみる
スカッツ
幼児のよりちゃんといくちゃんは、冬場長ズボンの上にスカートをはいている。ズボンとスカートの両方をはく子はT市のような田舎に住む幼児でも珍しい。防寒のために長ズボンをはかせるおばちゃんと、スカートをはきたい2人との妥協ファッションなのだろうか? まりつきのまりを後ろで受けるのにスカートは必要だし。... 続きをみる
赤チン
切り傷の消毒薬も我が家と違う。我が家は赤チン(マーキュロクロム水溶液)だが、山本さんの家ではヨーチン(ヨードチンキ)を使っていて、赤チンよりひどく染みる。「ヨーチンの方がよう効くねんよ」とおばちゃんに言われたが、私は一回で懲りて、以後けがをしたときは自宅に帰って赤チンを塗ることにした。71年(昭... 続きをみる
五右衛門風呂
山本さん宅には井戸もある。「井戸水は、夏冷とうて冬あったかいのえ」とおばちゃん(姉妹の母親)から聞いて、夏の水温の方が冬の水温より低いのかと驚いたが、そうではなく、水道水に比べてということだと後で理解した。夏に井戸水で冷やした冷たい物を食べられる。井戸も冷蔵庫もない我が家では、浴槽に水道水を張っ... 続きをみる
勝手口
山本さんの家は勝手口から出入りする。玄関から入れてもらったことは、我が家が東京へ転出するまでの5年半の間に一度もない。玄関は賓客専用らしい。子供に玄関を使わせない家は結構多い。我が家は家族も玄関から出入りするが。山本さん宅の勝手口から上がった台所は、床に食べ物の欠けらや汁が落ちていて、踏むと気持... 続きをみる
お漏らし
母の留守中にマイコの友達を泣かせて追い帰したことも一度ある。私が小学2年生のとき、マイコが幼稚園の同級生を家に連れてきて、しばらく3人で遊んだ。母が買い物に出かけた直後にその子がお漏らしをしたので、私とマイコは慌てた。《お母ちゃんが帰ってきはったら怒らはるやろな。どうしよ》と思うと、彼女が憎たら... 続きをみる
家庭教師
小学校に入学した直後に1年下の向学心旺盛な女児と知り合った。私に字を教えてほしいと我が家に通うようになり、私は大喜びで家庭教師を引き受けた。彼女の家がどこなのか正確に知らないが、我が家から1km以上離れているらしいにもかかわらず、週に何日も通ってくる。私の教科書を見て目を輝かせ、「学校に行ったら... 続きをみる
学校ごっこ
私は、四女・五女のよりちゃん・いくちゃん、マイコを初め、近所の幼女を集めて、学校ごっこをするのが好きだった。私自身が学校に上がる前から、私は学校の先生の役をして喜んでいた。出席簿を作って生徒の名前を読み上げ、出席をとる。教える内容は折り紙やあやとりで、生徒が幼過ぎて文字や計算を教えられないのがち... 続きをみる
優生保護法
近所の子供達の中でよく遊んだのは、山本さん宅の姉妹である。山本家は5女1男の子沢山で、総領の長男は20歳近かったと思う。私の年代が長子のきょうだいは2人が普通だ。しかも2年違いが多く、私の小中学校の同級生の妹弟がマイコの学年に大勢いた。逆に末っ子が私と同年代の場合は、多くの姉兄を持つ人が多い。従... 続きをみる
おじゃみ
『おじゃみ』(お手玉)も盛んで、私の好きな遊びだった。片手で握れるくらいの布袋に小豆を入れたおじゃみを2つ使って、ジャグリングの要領で、右手で投げ上げたおじゃみを左手で取り、右手に渡すのを繰り返す。上げた右足の太ももの下から渡すときもあり、『1番はじめは一宮』の数え歌に合わせて足を上げ下げする。... 続きをみる
まりつき
まりつき、ゴム跳び、馬跳びのような女の子だけの遊びは、木登りや缶蹴りより取っ付きやすく、それなりに上達して、友達とほぼ互角に遊べるまでになった。 まりつきは、『1もんめのイすけさん、イの字が大好きで、一万一千一百億---。2もんめのニすけさん、---』という数え歌に合わせてゴムまりをつく。足の... 続きをみる
レンゲ
5歳から10歳まで過ごしたこの田舎の環境が私の体を丈夫にしてくれたと、父は5年半の田舎生活を高く評価する。私は大阪の頃と同様、外遊びより家に閉じ籠もっている方が好きだったが、それでもレンゲ(レンゲソウ)やシロツメクサ(クローバー)、アカツメクサなどの雑草を摘んだりできたのは、都会暮らしでは得られ... 続きをみる
ババタンコ
近所に肥溜めがあり、子供達は『ババタンコ』と呼ぶ。ババタンコは、人間の糞尿を発酵させて堆肥にするために溜めておく大きなおけである。土中に埋めてあり、蓋も屋根もなく、野ざらし状態。我が家のトイレの汚物もどこかのババタンコに運ばれていたのだろう。 引っ越してきた直後に飼い始めた子犬のクロが、ババタ... 続きをみる
牛
大阪と違ってここは家の前の通りを車が走ることはまれで、代わりに牛や馬が我が物顔に闊歩する。牛のべたっとしたフンがよく道に落ちている。馬のフンは乾いていて、臭いも見た目もあまり汚らしく感じないけど、馬より牛の方が圧倒的に多いので、道の落とし物もほとんどが牛のものだ。田んぼでスキを引いて土を耕す牛は... 続きをみる
床の間
我が家には火鉢がなかった。「火鉢は暖こない」と父は好まなかったが、よその家では火鉢の上にやかんを乗せ、水蒸気で部屋を暖めていたようだ。我が家には扇風機もなくて、暑がりの私は友達の家が羨ましかった。私の観察に因ると、火鉢と扇風機はどの家にもあり、掘りごたつはない家の方が多かった。 掘りごたつの周... 続きをみる
掘りごたつ
新居には京都の家と同じ掘りごたつがある。椅子のように足を下に下ろして座れる。冬以外は布団を取って、ただのテーブルとして使い、食事だけでなく、本を読んだり、トランプなどのゲームをしたり、私にとって最も居心地のよい場所だった。私より寒がりのマイコが足を下ろさずに正座すると、父が足を伸ばせと怒る。その... 続きをみる
永井荷風
独居生活を送っていた永井荷風は、面倒な洗濯をせずに着古した衣類をトイレに捨てていたそうだ。電気洗濯機はまだ普及していない。それを雑誌(『文藝春秋』か『週刊朝日』)で読んだ父は、合理的だと感心していた。トイレに何を捨ててもよかったらしい。 若い人達は、昔の日本家屋のトイレが2部屋だったことを知ら... 続きをみる
ちり紙
トイレはもちろん汲み取り式である。当時は大都会でも下水道が未設置だったから、特殊な建物を除いて、日本中汲み取り式トイレだった。便槽の汚物は、農家の人が定期的に回収に来てくれる。「こないだの大雨で今日は多いさかい50円や。」「高いなあ。負けてえな」と、回収のたびに母は料金交渉せねばならない。汚物を... 続きをみる
蚊帳
夏は就寝時に蚊帳をつる。京都や大阪の家では使わなかった。田舎は都会に比べて蚊が多いのだ。いつのまにか日本から蚊帳が消えてしまったのは、網戸が普及したからか? 器用な母は引っ越し直後に、自作の網戸を縁側に取り付けた。空き地に落ちている木片を拾って枠を作り、それに網を張っただけの代物だけど、あるとな... 続きをみる
火の見やぐら
小川にはメダカやオタマジャクシやタニシやザリガニがいた。ヒルもいるらしいが、私は見たことがない。ヒルを指差すと指が腐ると友達から聞いて怖くて、川に向かって指を伸ばさないように注意した。脚が生えかけたオタマジャクシを見る機会も多く、『オタマジャクシはカエルの子』を初めて聞いたとき、『やがて手が出る... 続きをみる