私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

給食のブログ記事

給食(ムラゴンブログ全体)
  • 祇園祭

     1・2年1組だった私は、組替えで3年2組になった。担任は富山先生。富山先生は1年からずっと持ち上がりだが、妊娠中の小野先生は担任から外れ、代わりに男の先生が3年の担任に加わった。1・2年の担任は全員女性で、3年になって初めて男の先生が交じることになった。富山先生は小野先生より几帳面で融通が利かな... 続きをみる

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  • ままごと

     給食が始まって大分たった頃、昼休みの時間に6年生の女の子達が私の教室まで来て、私を砂場に連れ出すようになった。ままごと遊びの小さな妹に私が適役だったらしい。私は母が作った派手な目立つ服を毎日着ていたので、かわいく見えたのだろう。皆親切でとても大事に扱ってくれた。ままごとをさして面白いと思わなかっ... 続きをみる

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  • PTA

     複数校の給食をまとめて作る給食センターはまだ存在しない時代だから、校内に調理室があり、有志の母親達が食事作りを手伝う。外向的な私の母は要請されると喜んで応じた。母は小中学校のPTA役員を毎年引き受けて親どうしの交わりを楽しんでいた。私が親になった頃からPTA役員のなり手がいなくなり始めたが、私の... 続きをみる

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  • コッペパン

     給食のおかずのほとんどが食べられないけれど、コッペパンは食べることができた。でも残して持って帰るようにという母の指示があったので、ほとんど食べずに給食袋に入れた。私の食べ方がのろくて給食の時間内に食べ終わらないことを母は分かっていたのだ。何をするのも遅い私を心配して、母はクラス替えのたびに担任へ... 続きをみる

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  • 鯨肉

     多くの小学生にとって給食と体育が学校で最も楽しい時間だろう。私の息男もそうだった。でも私にとっては2大苦痛の時間だった。体を動かすことが嫌いな上に、運動能力ゼロで劣等感にさいなまれる体育。給食はまずくて食べられない。偏食の母の手料理に慣れた私の口は、食材も味付けも全く異なる給食を受け付けなかった... 続きをみる

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  • 脱脂粉乳

     学校給食法が施行されたのは1954年(昭和29年)6月だそうだが、53年に私が入学したとき、K小学校は既に給食を実施していた。戦後の食糧難対策として、都市部の小学校では早くから給食を始めていたようだ。ユニセフからアメリカ産の脱脂粉乳を寄贈され、アメリカ産小麦で作られたコッペパンを食べて育った私達... 続きをみる

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