結婚のブログ記事
国民体育大会
洋子叔母は京都市立堀川高校時代バスケットボール部に所属していて、国民体育大会に出た。運動能力抜群で容姿端麗の洋子が、私と3親等しか離れていないなんて信じられない! キャプテンだった彼女は京大生のコーチと、1955年(昭和30年)3月に結婚した。彼女に養子を取りたい祖母と少しもめたのが、私にも聞こ... 続きをみる
トースター
井村家(母方の親戚)随一の大尽だった芦屋の叔母ちゃん(母の叔母)が不幸に見舞われたのは、私が小学1年のときだった。彼女の夫が急逝したのだ。夫の死後、芦屋の豪邸から普通の家に引っ越し、女中達もいなくなった。神戸女学院大学に通っていた長女は退学して、翌年結婚した。嫁入り道具に電気洗濯機を持参するよう... 続きをみる
初恋
私の初恋は小学1年生のときだ。同級生のAちゃんを好きになった。Aちゃんと話すときはいつもわくわくする。「歯磨き粉は辛いから嫌いや」と私が言うと、自分はバナナやイチゴの味の歯磨き粉を使っているので、今日はどの歯磨き粉にしようかと楽しみだとか、前日に見た楽しい夢の話をしてくれた後、「今日は昨日の夢の... 続きをみる
歩く辞書
幸子は祖母(彼女の母)に素っ気ない。妹の洋子ばかりかわいがると子供の頃から恨んでいた。幸子は長い間3人姉妹の末っ子だったのが、8歳のときに洋子が生まれ、家族の関心が一斉に美人の洋子に集まった。祖母が洋子を溺愛しているのは、私にも感じられた。幸子が懐いていた芦屋の叔母ちゃん(私の祖父の妹)も洋子の... 続きをみる
不眠症
父の不眠症は厄介だった。常に睡眠不足に悩まされている本人はもちろんつらいだろうが、家族も気を遣わねばならない。父が隣室で寝ているときは、抜き足差し足で歩き、ひそひそ声で会話する。乳幼児期の私は夜中によく泣いたので、母はそのたびおぶって京都の街を歩き回らねばならなかったと言う。私の夫は父と正反対で... 続きをみる
母の姉一家
兵庫県で新婚生活を送ったいち子伯母だが、終戦前に実家に戻っていた。息男[むすお]の修平が44年(昭和19年)に生まれた直後に夫が召集され、更に家が空襲で燃えてしまって、京都の実家に逃げ帰ったのだ。 夫は終戦後シベリアに送られ、無事に帰国できた戦友が、彼男の死を知らせに来た。いち子は来訪のお礼に... 続きをみる
両親の結婚
両親は見合い結婚である。井村家と中澤家の後継ぎ同士が、入籍できないにもかかわらず、なぜ見合いをしたのか、これも私にとって七不思議のひとつである。一郎伯父の妻が母の親戚であるという縁で、結婚話が生まれたという。父が東大出だと知ったいち子伯母は、即母に結婚を勧めたのだと、後年私に話した。母も父も京都... 続きをみる
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