私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

母の姉一家

 兵庫県で新婚生活を送ったいち子伯母だが、終戦前に実家に戻っていた。息男[むすお]の修平が44年(昭和19年)に生まれた直後に夫が召集され、更に家が空襲で燃えてしまって、京都の実家に逃げ帰ったのだ。
 夫は終戦後シベリアに送られ、無事に帰国できた戦友が、彼男の死を知らせに来た。いち子は来訪のお礼に、夫の衣類をあげたと言う。物資のない時代なので戦友は大喜びしたそうだが、それからしばらくして夫も元気に帰ってきた! 戦友は何を見たのだろうか? 「松の葉をしがんで、それで栄養をとって生き延びたんやて。松葉は冬もあるさかい、そのおかげでどうにか生きて帰れたんやて」と、夫が85歳で亡くなった後にいち子が話してくれた。彼女と息男の修平(私の従兄)は、危ういところで母子家庭の運命を免れた。修平は初対面のおじさんと突然一緒に暮らすことになったのが不思議だったと言う。
 修平の世代は、戦災で親を亡くした人が多い。私達団塊の世代とあまり年が違わないのに、そこが戦後生まれの団塊の世代と上の世代で決定的に異なる。私達は中国の残留孤児にもならないですんだ。もっとも、両親が共に戦争を生き延びてくれなければ、私達は生まれることすらできなかったわけだが。

シベリア抑留 - Wikipediaより:舞鶴港に上陸する帰還兵

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