私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

流行歌2

キリコ

 男性歌手が歌って流行したポピュラーソングは、『恋の片道切符』、『悲しきインディアン』など。坂本九が歌った『ステキなタイミング』・『悲しき六十才』・『カレンダー・ガール』も人気があった。3年生のとき飯田久彦さんがにわかに現れて、『悲しき街角』・『小さい悪魔』・『ルイジアナ・ママ』・『花咲く街角』を立て続けにはやらせた。前述の『よくスタジオに遊びに行く』級友の下村君が飯田久彦さんの大ファンで、いつも彼男の歌を口ずさんでいる。歌手になりたいと思っていたのかもしれない。『小さい悪魔』を彼男が歌うとき、私達は『デブ、デブ』と合いの手を入れる。『little devil』が正しいのだが、私達には『デブ、デブ』と聞こえるのでそのまま歌う。

 歌謡曲(演歌)には興味がなかったが、ヒット曲を思い出すままに挙げると、まず私が1年生のとき(1959年、昭和34年)、水原弘の『黒い花びら』とペギー葉山の『南国土佐を後にして』が街中に響いていた。村田英雄の『人生劇場』もよく耳にした。『黒い花びら』は第1回レコード大賞を受賞した。翌60年の第2回レコード大賞は松尾和子とマヒナスターズの『誰よりも君を愛す』。この年は守屋浩の『有難や節』もはやった。彼男は前年に『僕は泣いちっち』で人気を得る。突然17歳の若い橋幸夫が『潮来笠』でデビューした。従妹の真理子はまだ幼児なのにたちまち彼男のファンになる。彼男は数年後に舟木一夫さん、西郷輝彦とともに『御三家』と呼ばれる。翌61年は坂本九の『上を向いて歩こう』が生まれた年である。永六輔作詞、中村八大作曲のこの曲は、3年生の私の学級でも人気投票1位となり、ホームルームの時間に毎回のように皆で歌った。2年後の63年に『SUKIYAKI』という名前でアメリカでレコードが発売され、全米1位の快挙を成し遂げた。リバイバルブームも起きて、第3回レコード大賞はフランク永井の『君恋し』だし、高峰三枝子の『湖畔の宿』、井上ひろしの『雨に咲く花』、ダークダックスとマヒナスターズの『北上夜曲』、藤山一郎の『青い山脈』、岡本敦郎らの『白い花の咲く頃』、佐川ミツオらの『ゴンドラの唄』、あと『祇園小唄』などがブレイクした。小林旭さんの『北帰行』は旧制旅順高等学校の寮歌である。59年の『人生劇場』もリバイバルソングだ。


   

  坂本九:Wikipediaより

×

非ログインユーザーとして返信する