私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

成り金

キリコ

 祖母に溺愛された洋子も、もちろん祖父より祖母派だが、祖父を見直した出来事があると言う。結婚直後の夫の給料が少ない時期に妊娠してしまったので、中絶しようと思うと祖父に告げると、祖父は洋子妻夫を自分の前に正座させて、こんこんと説教した。せっかく授かったものをおろすなんてとんでもないと言われ、2人は産む決心をした。利発な女の子が誕生して、中絶を止めた祖父に感謝している。「お父さんが真剣にうちらを叱ってくりゃはって、あんなお父さんを見たのは初めてやったわ。」
 当時の洋子は、トースターにたまった食パンのくずをパン粉代わりに使ったり、随分切り詰めた生活を送っていたのを、私も知っている。我が家が電気冷蔵庫を買ったとき、それまで使っていた象印のジャーをあげた。ガラス製の魔法瓶を炊飯器くらいの大きさにした製品で、氷を入れて冷蔵庫代わりにする。洋子の夫が、ジャーに残った氷水を、ジャーに直接口をつけて飲んでいる光景が今も目に浮かぶ。母は洋子を気の毒がって、我が家で不要になった物を次々と下げた。
 洋子の夫は小さな広告会社に勤めていた。「京大出たのになんで?」と母がけげんに思っているうちに、その会社は潰れた。しかし世渡りの上手な夫は直前に別の会社に転職した。その後も引き抜かれて転職を繰り返し、30年後に自分の会社を立ち上げて、井村家随一の金持ちになった。残念ながら75歳で亡くなった。成り金は苦労が多いからか、一郎伯父も74歳だし、芦屋の叔母ちゃんの夫は子供が成人する前に上天した。洋子叔母も79歳だった。ほかの親戚は大方が80年以上の人生を生きたが。芦屋の叔母ちゃんは100歳、私の母は98歳の大往生だ。


 いち子は祖母(自分の母)を頼りないと見下していた。「おばあちゃんはしっかりした人やった。偉かったと思う」と、祖母の姑を褒める。もし祖母が曽祖母並みにしっかりしていたら、祖母といち子はけんかが絶えなかったにちがいない。いち子は実家から追い出されていたかも。曽祖母も、てきぱきとなんでもこなすいち子が気に入っていたようで、いち子と正反対のうすのろの母はうとまれた。叱られてばかりの記憶しかない母は彼女が大嫌いだ。ことあるごとに彼女をあしざまに言う。祖母をこき使ったとか、ほうきで尻をたたかれたとか。だから母は息女の私達をたたかない方針で育てた。私は自分の子供達にすぐ手が出たが。

 私が母から受けた体罰は、押し入れの上段に閉じ込められること。私は真っ暗な中でいつもおとなしく泣いていたが、マイコは暴れまくって、段とふすまの狭い隙間から下へ落ちる。落ちた後、ふすまを開けて出てくることもある。玄関の外へ追い出されたときは、開いている窓からいつのまにか入って、椅子に座って平然としていた。マイコは第一反抗期が過ぎても、母の手に負えない子供だった。私の子供達は私以上に従順なので、その場でたたいて終わりにし、母のように押し入れに入れてお仕置きを長引かせる必要は感じなかった。


左から母、洋子、幸子

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