私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

学芸会

 学芸会が3学期にあり、小野先生が私を劇の主役に選んだのも不思議だった。学級委員長になったからか、母がPTAの役員で学校に貢献しているからか? 恥ずかしくて大きな声を出せない私を練習させるのはたいへんだったろう。家でも練習するようにと先生から母にお達しがあり、母は大喜びで毎日せりふの練習を手伝ってくれた。引っ込み思案の私が学級委員長や劇の主役を経験したのは、その後の人生に役立っていると思う。学校は前に出たがりの子を選ぶ傾向が高いが、どの子にもいろいろな経験をさせるように配慮すべきだ。
 ウサギの姉妹が母親を捜して、さまざまな動物に出会うというストーリーの劇だった。私は妹で、姉役は幼稚園時代から活躍しているきょう子ちゃんである。当時の学校には体育館がなく、学芸会は講堂で開催された。学芸会の当日、きょう子ちゃんはきらきら光る衣装に着替えた。白ウサギなので2人とも白を着ることになっていて、母が私に用意してくれたのは木綿の下着のような服、きょう子ちゃんの豪華な衣装と大違い。光を反射する彼女のスカートが珍しくて、私がなでたら、「触ったらあかん! このきれはすぐ破れるねん。はさみで切るのは難しいけど、手でいじると簡単に破れるねん」とすごい剣幕で怒った。後で母にそれを告げると、「きっとおうちの人にそう言われてんのやろ。上等の服やろけど、舞台ではキリコの服と変わらへんかったえ。」
 そういえば、私のウエディングドレスも上等の服地ではなかった。結婚式の仕事に携わっている近所の人が、自分の扱うドレスの布地と格が違い過ぎて驚いていたそうだ。いち子伯母がくれた生地で、いち子も母も素材よりデザインと割り切る。
 劇の途中で私はせりふを度忘れした。黙っている私に周りの子の視線が集まると、よけいに思い出せない。そのとき、舞台の袖から学年主任の先生が、「ほうら」と出だしを言ってくれた。それも母に言うと、「全然分からへんかったよ。よかったよ。」 先生の声は客席に聞こえなかったようで、ほっとした。せりふを全て忘れた今も、『ほうら』だけはしっかり頭に居座っている。私は子供の頃から人より度忘れが多いように思う。クイズの答えが分かるのに単語が思い出せなくて悔しい思いをすることが何度もあった。ここ何十年かは老化現象でさらにひどくなり、これを書いている最中も、中断してインターネットで調べたりせねばならず、すこぶる能率が悪い。

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                   私

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