私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

ポーラ

 幸子は4人姉妹の中で一番苦労の多い人生だったと私は思う。上2人の見合い結婚と違って、幸子と洋子は恋愛結婚だ。幸子より1年上の夫はサラリーマンだったが、結婚後すぐに肺結核に冒されて会社をやめ、幸子が働いて2人の生活を支え続けることになった。「結婚前に健康診断書を要求するとか、親がちゃんとせえへんからや」と父は祖母父を非難した。なので、父は私の結婚のときに夫に健康診断書を持ってくるように言った。そしたら夫は近所の開業医にその場で作成してもらえる紙1枚の診断書を父に手渡した。父はそれ以上言えず、結局父も祖母父と同じダメ親に過ぎなかった。
 幸子は何回かの転職後ポーラの販売員になり、バイク事故を起こす70代までバイクで走り回って、顧客の自宅訪問を続けた。営業成績が良く、社内で何度も表彰されたとのこと。口が達者で明るい雰囲気の彼女にぴったりの仕事だったのかもしれない。私が初めて友達の結婚披露宴に出たときも、彼女が丁寧に化粧してくれた。幸子の姉妹は3人とも化粧にあまり関心がなく、母など一度もポーラの化粧品を買ってあげなかった。
 幸子は4人姉妹の中で自分が一番ブスだと思っているので、化粧に興味を持ったのだろう。4人とも出っ歯だが、彼女が一番ひどい。3人は二重まぶたなのに、彼女だけ一重。写真を撮るときは、「待ってや」と言って、二重にしてから写る。でも私は、彼女が色白で、きめの細かい肌をしているのが羨ましい。毎日化粧する生活で肌を傷めるのではないかと心配した。

いらすとやより

×

非ログインユーザーとして返信する