私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

テレビ

 K小学校で最も親しい友人は三村さんである。小学校の近くの豪邸に住む。幼稚園も近いのに、きょうだいが多いからか行っていない。入学前に友達がいなかった者どうしで仲良くなったのかもしれない。K幼稚園のクラスメートが1年1組に10人くらいいるはずだけど、私は五郎ちゃん以外話をしたこともないし、顔も覚えていない。三村さんとは4年生まで同じクラスだったが、次第に淡泊な関係になり、5年生でクラスが分かれてからは学校でも顔を合わせなくなった。しかし東京に転校後も文通を続け、夏休みに京都に滞在するたびに会った。泊めてもらったこともある。現在もたまに電話やメールをする仲だ。
 彼女の家の客間には豪華なソファをしつらえてあって、壁は大きな本棚になっている。百科事典がずらりと並び、文学全集もあった。こけしを収集するのが趣味らしく、全国津々浦々のこけしがガラスケースの中に陳列されている。二階に親戚の大学生が下宿していた。「その部屋も見せて」と頼むと、「入ったらあかんて言われてるのやけど」と躊躇しながら、ふすまをそっと開けて、ちょっとだけのぞかせてくれた。我が家と違って幾つも部屋があり、上等の家具類が置いてあって、6歳の私にとって、彼女の家の全てが物珍しかった。
 そのうちにテレビも設置された。NHKテレビが東京で開局したのは1953年(昭和28年)2月だそうだが、関西は翌年だと聞く。「つけてみて。」「今はやってへんからなんにも映らへん。」 当時はNHK1局しかなく、朝と夕方以降だけの放送だった。《白い画面にどう映るのか見たいのに、残念無念!》 関西で民放の放送が始まるのは56年(昭和31年)である。

Wikipediaより

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