私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

歩く辞書

 幸子は祖母(彼女の母)に素っ気ない。妹の洋子ばかりかわいがると子供の頃から恨んでいた。幸子は長い間3人姉妹の末っ子だったのが、8歳のときに洋子が生まれ、家族の関心が一斉に美人の洋子に集まった。祖母が洋子を溺愛しているのは、私にも感じられた。幸子が懐いていた芦屋の叔母ちゃん(私の祖父の妹)も洋子の誕生の数年前に結婚して家を出ていて、幸子は少女期につらい思いをしたらしい。1972年(昭和47年)に祖父が亡くなったとき、「お父さんがいはらへんし、もうあそこ(実家)に行っても面白ないな」と母に言うのを聞いて、私は意外に感じた。祖母を大事にしない祖父を、母は怒っていたから。幸子が結婚後も毎日のように実家に顔を出していたのは、祖父に会いに行っていたのか。
 母の子供時代、刺繍の仕事で生計を立てていた実家には30人ほどの従業員がおり、祖母はその賄いに忙しく働いた。祖父の妹弟の面倒も見た。祖父の母である曽祖母にこき使われてかわいそうだったと、母はよく言う。祖父はのんきに長唄の練習をしていたそうだ。戦時中にぜいたく禁止令で刺繍ができなくなってからは、祖父は布地を扱う仕事に就いたが、のらりくらりで稼ぎは少なかったろう。祖父が生地を肩に担いで出かける姿を覚えている。重そうで痛々しかった。
 1957年(昭和32年)に我が家が東京に転居してまもなく祖父が来て、23区の地図を広げ、「これ、なんて読むか知ってるか?」と『豊島区』の字を指した。「トヨシマ区?」「テシマや。」 私はすぐに台所に行って、「これ、テシマて読むのやて」と新しい知識を母に披露すると、「おじいちゃんの言わはることは合うてるかどうか分からへんえ」と返されてびっくりした。父の言うことは正しいと盲信する母なのに。私も母の知識は疑うが、親戚から歩く辞書(walking dictionary)と信頼されている父の話は頭から信じる。母は私と違って、自分の父を信用していないことに、私は驚いた。その後『トシマ区』と分かり、私が『テシマ』と聞き間違えたのかとずっと思っていたが、1990年頃に瀬戸内海の小島の豊島で産業廃棄物問題が起きたとき、この島がテシマであることを知り、もしかして祖父はこの島の呼び名を頭に浮かべたのだろうかという疑問に捕らわれた。

香川県の豊島:Wikipediaより

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