私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

修学旅行


 私とマイコが京都から帰ると、父がお礼の手紙を書かせる。祖母父と四郎妻夫は子供からの手紙を面白く読んでくれたと思うが、父と母が挨拶なしなのは失礼じゃないだろうか? 従兄の修平が中学3年の修学旅行で上京したとき、母・私・マイコの3人で面会に行ったら、修平の父から達筆な字の礼状が来たのを覚えている。修平が撮ってくれた写真も同封されていた。従姉の澄子の修学旅行のときも面会に行って、父の二郎伯父から礼状をもらった。修平と澄子の手紙はなかった。本人も親も一筆書くのが礼儀のように私は思うのだが。
 マイコは春江のことを『はれちゃん』と書く。母が『春江さん』と呼ぶのを、『ハレサン』と聞き取っているらしい。私にも『ハレーサン』と聞こえるが、私は『はるえちゃん』と手紙に書く。
 私は伯母達を『伯母ちゃん』と呼び、叔母達は名前で呼ぶ。母より若い春江・幸子・洋子に『叔母ちゃん』はかわいそうな気がして、ちゃん付けにしている。幸子だけは幼児期に『幸子叔母ちゃん』と母に教えられていたが、小学生になって自分の意思で、『さっちゃん』に変えた。彼女はどう感じていたか知らない。『幸子叔母ちゃん』の方が威厳があって、よかったかも。ただ、彼女よりかなり年上の義妹から『お姉さん』を連発されるのは嫌がっていた。
 逆に、私の夫の義姉の1人は『お姉さん』と呼ばれたがる。義姉は何人もいるし、皆年が近いので、夫に従って名前に『さん』を付けていた私は、結婚数年後にそのことを知った。彼女は5人きょうだいの末っ子だから、私達からは『お姉さん』と呼ばれて、格上の気持ちになりたいのかしら? 人それぞれだ。

修平の修学旅行

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