私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

おじゃみ

 『おじゃみ』(お手玉)も盛んで、私の好きな遊びだった。片手で握れるくらいの布袋に小豆を入れたおじゃみを2つ使って、ジャグリングの要領で、右手で投げ上げたおじゃみを左手で取り、右手に渡すのを繰り返す。上げた右足の太ももの下から渡すときもあり、『1番はじめは一宮』の数え歌に合わせて足を上げ下げする。『10[とお]で東京二重橋』の最後はおじゃみを背中で受ける。同じメロディの『日露戦争』を歌うことも。『イチレツランパ(一列談判?)破裂して、日露戦争始まった、さっさと逃げるはロシアの兵、死んでも尽くすは日本の兵、---』と、日露戦争についてもロシアについても何の知識もない頃から歌っていた。
 祖母はおじゃみ3つをジャグリングできる。片手で2つのジャグリングもできる。私も祖母をまねて少し練習して、片手のジャグリングを5回ほどできるようになったが、祖母の足元にも及ばずに終わった。友達の誰もしないから練習する意欲が湧かない。祖母の子供時代におじゃみのジャグリングがはやったのだろうか? 母は全くできない。私の息女は、お手玉に触ったこともなければ、ゴム跳びも知らない。ガラス製のおはじきも見たことがないにちがいない。
 男の子はメンコや投げごまをしていた。一度こまを貸してもらって、男の子に教わりながらこまにひもを巻いて何回か投げたことがあるが、不器用な私は失敗の連続だった。息男の世代は、メンコも投げごまもしない。スーパーカー消しゴムで消しゴム落としがはやっていた。息男は消しゴム落としに興味がなく、ルービックキューブやオセロゲームに熱中していた。

お手玉:パブリックドメインQより

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