私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

赤チン

 切り傷の消毒薬も我が家と違う。我が家は赤チン(マーキュロクロム水溶液)だが、山本さんの家ではヨーチン(ヨードチンキ)を使っていて、赤チンよりひどく染みる。「ヨーチンの方がよう効くねんよ」とおばちゃんに言われたが、私は一回で懲りて、以後けがをしたときは自宅に帰って赤チンを塗ることにした。71年(昭和46年)にマキロンが発売されてから、赤チンやヨーチンは使われなくなったとのこと。しかし物持ちのよい私は72年の結婚時にもらった赤チンを使用し続け、85年までマキロンの存在を知らなかった。マキロンを皮膚につけても無色だが、赤チンは赤色に、ヨーチンはオレンジ色に染まる。今はそのマキロンも使わなくなっているらしい。『湿潤療法』といって、水道水で洗った後消毒せずにシートで覆い、かさぶたをつくらないのが最新の治療法だそうだ。
 赤チン以外の常備薬としては、母がメンソレ(メンソレータム)を愛用し、唇が荒れたときなどにつけていたことや、ときどき母の背中にトクホンを貼ってあげたこと、父が仁丹をかんでいたことを思い出す。父はロートの目薬も毎日さしていた。夏場は蚊に刺されたときのかゆみ止め用に、キンカンが必須だった。ほかに浣腸もあったように記憶するが、飲み薬は置いていない。風邪を引いたらすぐに風邪薬、熱が出たら解熱剤と、頻繁に服用する家庭を見かけるけど、我が家は安静にして湯たんぽや氷枕を使うだけ。結婚後の私も、薬の副作用が怖くて両親の方針を継いでいる。
 母の子供の頃は、置き薬の行商人が定期的に訪問して、使って減った薬を補充したそうである。祖母は子供達に肝油を飲ませた。母は肝油が嫌いで毎回抵抗したが、祖母に鼻をつままれて、息をするために口を開けたところに肝油を流し込まれたと言う。情にほだされやすい母と違って、やるべきと信じることはきちんとやり遂げる几帳面な祖母らしい行為だ。

赤チン:イラストacより

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