私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

ちり紙

 トイレはもちろん汲み取り式である。当時は大都会でも下水道が未設置だったから、特殊な建物を除いて、日本中汲み取り式トイレだった。便槽の汚物は、農家の人が定期的に回収に来てくれる。「こないだの大雨で今日は多いさかい50円や。」「高いなあ。負けてえな」と、回収のたびに母は料金交渉せねばならない。汚物を入れた2つのおけを、彼男は天秤棒で担ぐ。
 73年(昭和48年)のオイルショック時にトイレットペーパー買い占め騒動が起きたが、70年前の日本人はトイレットペーパーなど見たこともなかった。水洗トイレと違って水に溶ける紙を使う必要はないから、新聞や雑誌を適当な大きさに切ってトイレに置いている家が多かった。我が家は父が痔なので、硬い新聞紙は不可で、市販のちり紙を用意していた。
 『ちり紙』は、普通『ちりがみ』と読むが、東京に住んでいた高校生の頃は、格好をつけて『ちりし』と言ったりもした。関西では『鼻紙[はなかみ]』と言う。20cm四方のティッシュペーパーのような紙である。外出時に、「ハンカチとちり紙を持った?」と家人が声をかけるのが日本全国の日常の風景だった。駅やデパートなどの公衆トイレには、水洗であっても紙が備えつけられていなかった。

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