私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

汲み取り式のトイレ

 幼稚園生活は、私にとって少しも楽しくなかった。クラスの写真を見ても、かっちゃんと担任の中西先生しか分からない。かっちゃんのほかにクウちゃんという女の子がいたことを覚えているが、写真の中のどの子がクウちゃんか分からない。私は辛うじてクウちゃんとだけ友達になれたらしい。しかしある日、「クウちゃん!」と私が呼びかけても答えない。聞こえないのかと思って、もっと大きな声を出して再度呼んだが、やはり返事をしない。そのとき私は気付いた。聞こえているのにわざと知らん顔しているのだ。呼ばれたら必ず返事をするものだと思い込んでいた4歳の私は驚いた。同時に、私の呼びかけを無視することに因って私に対する悪意を示しているのだということも理解した。唯一の女友達に拒まれたら、もう私の遊び相手は一人もいない。かっちゃんは男の子達と一緒にいて、幼稚園の中では私と話すことはない。男の子達は常に動き回っていて落ち着かず、乱暴だから、女の子より嫌いだ。クウちゃんとはその後も遊んだが、もはや以前のような気を許せる友達ではなくなり、私は彼女に対してもぎごちない態度になった。
 幼稚園のトイレで一度だけ用を足したことがある。汲み取り式のトイレは、自分の家でも便槽に吸い込まれそうで怖いのに、初めての場所で、しかも閉所の個室に独りでいなければならない。びくびくしながらようやく小用を済ませて個室から出ようとしたら、引き戸が開かない。泣きべそをかきながら必死で戸を引っ張った。何かの拍子で戸が反対方向に動いて少し開いた。私は引き戸を逆の方向に引っ張っていたのだ。開いた方向に戸を引いてみると軽々動く。外に出られてほっとしたが、以後幼稚園のトイレは使わないことにした。私は膀胱が大きいので、日中行かなくても困らない。
 幼稚園に行きたくない私は、朝母が起こしてもなかなか起きようとしなかった。父が母に、「無理に行かせんでええ」と言っていて、幼稚園を休むこともしばしばだったように記憶する。運動能力の劣っている私は、級友の活発な遊びについていけなかったのだろう。3月生まれだからよけいに級友との差が大きい。気後れするばかりで、クウちゃん以外の子には話しかけることもできなかった。級友達も、いじいじしている私の相手などしたくなかったにちがいない。教室や運動場で何をして遊んだのか全く思い出せない私は、きっと隅で一人ぼけっと突っ立って、級友の活動を傍観していただけなのだろう。幼稚園に行くより、家で独り遊びしたり、年下のたか子ちゃんやマイコに威張ったりしている方が、ずっと楽しい。

大宝幼稚園の級友:かっちゃんと私以外は加工しました

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