私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

寄留

 K幼稚園から100m離れた所に、K小学校がある。K幼稚園の卒業生はK小学校に入学するのが当たり前という雰囲気だったから、私も当然K小学校だと思っていたのだが、手続きが面倒だったらしい。阪急線より南200mにある我が家はM小学校の学区なのだ。親戚のミネが阪急線より北のK小学校区に住んでいるので、彼女の家の住所を借りて寄留することになった。山本家を始め、近所の子供達は皆M小に通っているし、K幼稚園に親しい友達がいるわけでもない私は、M小でも不満はなかったと思うが、父が体の弱い私の負担を軽減すべく距離の近い学校に入れようと考えたらしい。K小は我が家から1㎞で、M小は2㎞もある。
 1953年(昭和28年)の2月か3月初めのまだ寒い時季に、母がK小学校入学の許可をもらいに市役所へ行った。マイコと2人で留守番していると、母がずぶぬれのオーバー(コート)姿で帰ってきた。市役所で渡された書類が風に飛ばされ、それを追いかけているうちに川に落ちたのだと言う。スクーターで通りがかった男性が母を引き上げて、家まで送ってくれたとのこと。越境入学についてよく分からなかった私は、全身ずぶぬれで寒さに震えている母を見て、学校は幼稚園と違って入るのがたいへんなのだという印象を植えつけられた。

スクーター:イラストACより

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