私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

ババタンコ

 近所に肥溜めがあり、子供達は『ババタンコ』と呼ぶ。ババタンコは、人間の糞尿を発酵させて堆肥にするために溜めておく大きなおけである。土中に埋めてあり、蓋も屋根もなく、野ざらし状態。我が家のトイレの汚物もどこかのババタンコに運ばれていたのだろう。
 引っ越してきた直後に飼い始めた子犬のクロが、ババタンコに落ちた。隣家の人が見つけて助け上げ、きれいに洗って返してくれた。その親切に感激したのでよく覚えている。当時は犬を庭で放し飼いするのが当たり前で、首輪を付けた犬がよく外を徘徊していた。屋内で犬を飼うようになったのは、1980年以降ではないかと思う。
 我が家では私がクロを怖がって家から庭に出られないので、日中は母が物干しの支柱にリードをくくりつけてくれていたが、父が会社から帰宅すると、「自由にしてやらんとかわいそや」と放してしまう。クロは父が知人からもらったそうで、我が家で飼った最初の犬である。子犬のせいか、活発で少しもじっとしていない。私はクロに追いかけられたり飛び付かれたりするたびに、悲鳴を上げて逃げ回った。外で会うよその犬は私に無関心なので、逃げる必要はない。むしろ走ると追ってくるから、内心はどきどきしながら犬に知らん顔で平然と歩いている振りをする。マイコは犬も猫も全然怖がらない。
 クロは、我が家に来て1カ月もたたないうちに行方不明になってしまった。別のババタンコにまた落ちたのだろうか? 戦々恐々の毎日は思いのほか短期間で終わった。
 ちなみに夫の家では、小学生の兄が肥溜めに落ちたそうである。大都市の広島市でも数十年前は市内に肥溜めがあったらしい。
 舗装されていない道路は水はけが悪く、大雨のたびに冠水し、ババタンコの汚物が道路にあふれ出す。雨が上がった翌日でも、幼児の長靴より高くまで水が残っていることがあった。道路の両端に側溝があるのだが、大雨の排水には何の役にも立たない。側溝の蓋は門の前だけにしかなく、濁水で蓋が見えない中を門から道路に出る際、側溝に落ちないかと怖かった。

クロを抱く近所の子供
後ろは我が家の塀


「床の間」と「朝鮮戦争」に掲載の写真を取り替えました

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