私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

踏み切り警手

 学区外通学の私は毎日阪急線の踏み切りを渡る。踏み切りも当時は手動で、横に踏み切り警手の小屋があった。尿意を催して急いでいる私にお構いなく、踏み切り警手のおじさんは遮断機を下ろす。「オシッコ! オシッコ!」と叫んでも、「そこでしなさい」と言うだけで、まだしばらく電車が来ないのに絶対に遮断機を上げてくれない。
 私は大阪の大宝幼稚園のトイレのトラウマから、K幼稚園では一度もトイレに行かなかった。K小でも1年に1回も行かない。汲み取り式トイレの個室に入るのが怖いだけでなく、変質者に対する恐怖もある。女子児童が学校のトイレで痴漢に襲われる事件が全国で発生しており、殺害されるケースも起きて、「女子は友達と一緒にお便所に行くこと。独りでは行かないように」と先生から注意を受けていた。気軽にトイレに付き合ってくれる友達のいない私は、人より膀胱が大きくてよかった!

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