私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

母の実家

 私は生後3年間を、母の実家で暮らした。祖母父と、未婚の2人の叔母と、いち子伯母一家3人と、それに私の家族4人が同居して、祖母父は、2人の息女[むすめ]が嫁いで家族が減るどころか、逆に夫子[ふし](夫と子)を連れて次々と戻ってきたのは、うれしかったか、それとも鬱陶しかったか? 大人8人、子供3人の3世帯が住むには充分広い家とはいえないし(私が十数回の転居を繰り返した中では、もちろん最も広い家だが)、食糧難の時代だし、孫の世話もさせられるし、私が祖母の立場なら鬱陶しく感じるにちがいないけど。
 祖母は私の乳母車で配給の食糧を取りに行った。几帳面な祖母は、毎回正確に測って、3世帯に配分したそうだ。祖母は裏庭で鶏を飼い、私達に卵も供給してくれた。卵は子供の私達にとって貴重な栄養源になったと思う。同居しなくなってからも、祖母父の家に行くたび、生卵を御飯に掛けて食べさせてくれた。鶏が歩き回っている裏庭に、私は怖くて独りで行けなかったが、新鮮な卵はうれしかった。
 ちなみに、京都の町家は『坪庭』と呼ぶ裏庭があり、前庭はないのが普通である。玄関が直接道路に面する造りである。しかも60年代くらいまでは日中玄関に鍵をかけず、訪問者は勝手に玄関の引き戸をガラガラと開けて中に入り、「ごめんやす!」と怒鳴る。戸のガラガラと客人の声で、家人は初めて来客を知る。生活の欧米化と共に、現在は玄関にベルやチャイムを付けて鍵をかける家が当たり前になった。

祖母父の家の前で、1歳の私

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