私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

アイススケート

 母はアイススケートも滑れる。十代の頃自分のスケート靴を持っていた。姉のいち子に連れられてアリーナによく行っていたと言う。当時の井村家は曽祖母(2人の祖母)が牛耳っており、古い考えの曽祖母に分からないように身軽な格好で家を出ると、祖母(2人の母)がスケート靴を二階から落としてくれるのだそうだ。
 結婚後も京都に帰省したときに、私とマイコをスケート場に何度か連れて行ってくれた。私はリンクの上で立っていることすらできず、手すりにしがみつきながら伝い歩きするだけだが、母に手をつないでもらって滑ると気持ちがよくて楽しい。転びそうになっても母がすぐに姿勢を立て直してくれる。私とマイコの手を引いて3人で滑っても余裕しゃくしゃく。
いち子の息男の修平が学校で音楽の時間にスケーターズワルツを聴いて、その感想文に『スケートを滑っている』と書いたら、担任が感心して、「スケートやとよう分かりましたね」といち子に告げたそうだ。修平は京都に住んでいるので、いち子としょっちゅうアリーナに行き、スケーターズワルツのBGMを常に聞いていた。私が結婚後に家族で行ったスケート場では、スケーターズワルツではなく、流行歌を次々と流していて騒々しかった。
 母はアイススケートも水泳も、私達子供に一切教えようとしなかった。人に教えることが好きな私と違う。だから私はどちらも初心者レベルのままだ。マイコは運動音痴の私と違って、自力で少し上手になったが、もちろん母の足下にも及ばない。

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