私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

番茶

 我が家の日曜日の朝食は、菓子パンと紅茶が定番メニューだ。遅い起床後にパン屋へ買いに行く。あんパンが10円で、あんパンより一回り大きいジャムパンとクリームパンが15円だったのを覚えている。食欲旺盛な私はジャムパンかクリームパンを買うことが多かった。食の細いマイコはあんパンか甘食を選ぶ。
 和食より洋食の方が栄養価が高いと信じる父は、アメリカの小麦売り込みにまんまと乗せられた。55年(昭和30年)にトースターを買ってからは、平日の朝食も御飯から食パンに変わった。塩分の多い漬物などで御飯をかき込む日本人と違って、体格のよい白人を羨ましく思ったのか? 戦後の日本人の背が伸びたのはパンのおかげではない。タンパク質の摂取や生活様式の変化に起因すると思う。ご飯はパンのように、砂糖、塩、バターなどのよけいなものが入っていないし、おかずと一緒に食べる分、パンと紅茶だけで済ます食事よりずっと優れている。
 紅茶は紅茶専用のポットで入れる。円筒状のアルミポットに水を入れ、上部の網目の上に茶葉を乗せる。円錐形をしたガラスの蓋をし、ガスコンロで加熱すると、蒸発した水が蓋まで上がってくる。紅茶色の液に変わったらできあがりだ。この方式のティーポットを先日インターネットで探したが見つからなかった。今は煮出さないで茶葉に熱湯を注ぐ。あるいはティーバッグを使う。
 日本茶も、当時はやかんに番茶の葉をじかに入れて煮ていた。家族は好きなときにやかんから湯飲みについで飲む。やかんを火鉢に置きっ放しの家もある。東京に転居したら、子供達はお茶を飲まず、友達の家で、「喉が渇いた」と言うと、水道の水をコップに注いで出してくれる。私はお茶の方がうれしかったけれど。

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