私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

輸入自由化

 日曜日に父が、「バナナを食べよか」と言うと、私は大喜びした。果物は全般に好きだが、中でもバナナが大好きだった。喜び勇んで家族の人数分4本を買いに行く。1本45円。高いので月1回も食べられない。私はバナナをかじらずに、クリームをなめるようにいとおしみながら大事に大事に食べた。家族3人も今と違ってゆっくり味わいながら食べるが、私のバナナが半分もなくならないうちに、3人とも食べ終わってしまう。
 小学校低学年の頃に母と私とマイコの3人で父の弟の四郎叔父の家を訪問したときのバナナのエピソードを思い出した。四郎の妻の春江叔母が、「バナナが1本あるわ。食べるか?」と、台所からバナナを持ってきた。「これは疲れたはるお母ちゃんにあげるのえ。キリちゃんとマイちゃんは食べたらあかんよ。」 私とマイコは母が食べるのを横で指をくわえながら見ていた。恨めしかったので忘れられない。
 1963年(昭和38年)にバナナの輸入が自由化されてからどんどん安くなって、今では小腹満たしに気軽に食べる人も多いが、当時は高級フルーツの最たるものだった。

Wikipediaより

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