乳腺炎
母の片方の乳房が乳腺炎になり、母乳不足で人工の粉ミルクを足さねばならなかったのも、私の成長を阻害したと思う。当時の人工栄養って、どんな代物だったのだろうか? 47年(昭和22年)の日本の経済は最悪だったと聞くから、まともな栄養がとれるはずはない。「あんたがしっかりお乳を吸わへんさかい、乳腺炎になってしもたんえ」と、母は私のせいにする。乳腺炎の痛い治療を母は受けねばならなかった。乳腺から膿が出続けるので、乳房を切開し、乳腺にガーゼを当てておく。通院のたびにガーゼを交換するのだが、古いガーゼを抜くときが痛かったと言う。傷にくっついたガーゼを剥がすなんて、私は想像するだにぞっとする。乳房は敏感な場所だから、なおさら痛いにちがいない。
AMOMA httpswww.amoma.jpchcolumnmaternitytrouble34828より