私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

鉗子分娩

 終戦の翌年の46年(昭和21年)3月、23歳の母と31歳の父は平安神宮で挙式した。父の養父である一郎伯父の家の1部屋を借りて1年住み、私が生まれる少し前に母の実家に移った。まだ自宅出産が普通だった時代に、私は助産院で生まれた。ちなみに、いち子伯母は修平を兵庫県の自宅で産んでいる。私と同じ日(47年3月21日)に、従兄の隆[たかし]も生まれた。隆は二郎伯父の末っ子で、私より2時間早く誕生した。
 産道に長く停滞して頭を圧迫され続けた私は、七福神の福禄寿のような細長い頭の赤ん坊だったそうだ。微弱陣痛で母は強く息むことができず、産婆さん(助産師)が馬乗りになって、「気張って、気張って!」と励ましながら腹を押した。最後は私の頭を鉗子で挟んで引っ張り出した。私の頭は長時間低酸素下に置かれた上に鉗子で挟まれて、絶対に脳に傷がついたと思う。病弱で、発育が遅くて、運動神経が鈍いのは、そのせいではないだろうか?
 私の運動能力の低さは天下一品で、両親から受け継いだ遺伝子もよくないが、それだけでは説明がつかないレベルなのだ。1歳になってよちよち歩きを始めたときも、転ぶ瞬間に手を突かないからいつも額をけがしていたと、母が言う。「鼻が低いから鼻はけがせんと、必ずでぼちんを打つねん。なんで手が前に出えへんのやろね。」 ちなみに妹のマイコの運動能力は十人並みで、私のようなドジではない。同い年の隆はすばしこい子供に育った。

こそだてハック https192abc.com15742 より

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