私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

京都市立堀川高校

 大阪に住んでいた2年間、私は京都の祖母父の家によく預けられた。年子の幼児を育てるのはたいへんだろうし、家事も現在と違って重労働だったから、私を祖母に預けて少しでも息抜きしたい気持ちは分かるが、頻繁に預け過ぎだ! 祖母父の家より我が家にいたいと自己主張することを知らなかった私は、「3つ寝たら帰っといない」と母に言われると、寂しさに耐えながら毎晩数えて、3泊の終了日を待ち焦がれた。「もっと泊まっていきよし」と祖母が引き止めても、とんでもない、いそいそと帰り仕度をした。
 母のすぐ下の妹の幸子[さちこ]叔母は、既に結婚して実家を出ていたが、婚家が京都市内なので、毎日のように訪ねてきて私の相手をしてくれる。末妹の洋子叔母も私の面倒をよく見てくれた。高校生の洋子は髪を長く伸ばしていて、毎朝三つ編みを2本結う。お下げは女学生の典型的な髪形である。1本の三つ編みの根元の幅が10㎝くらいもある。井村家は髪が太くて多い遺伝子らしく、私も中高生時代、かさ高の髪に悩まされた。彼女の座り机(文机)が一階の奥の部屋に置いてあったが、引き出しが少なく、あれで高校の教材を全部収納できたのだろうか? 二階の修平の勉強机は今と同じ椅子式である。
 洋子はロッキード事件の検事だった堀田力さんと京都市立堀川高校の同級生だ。卒業後も付き合いがあり、2014年の洋子の葬式には供花してくれた。彼らの小学校卒業時に新制中学校が発足し、彼らは義務教育が6年から9年に変わった最初の学年である。それまで女男別学だった中等教育が女男共学になった。堀川高校の前身は高等女学校で、いち子伯母が受験した頃はレベルが高く、彼女は受験に失敗したが、女男共学の新制高校は小学区制が導入され、彼女ほど成績のよくなかった洋子でも楽に合格できたらしい。いち子の息男[むすお]の修平も堀川高校に進学した。小学区制だからほかの公立高校を選ぶことはできない。
 私は幸子・洋子叔母より修平と遊ぶのが楽しかった。一人っ子の彼男も私やマイコと兄妹ごっこするのを喜んでいる風だった。男の兄弟がいない女の子は、兄に憧れるものらしい。洋子の子供も私と同じ2人姉妹で、修平とは年が1回りも離れているのに、やはり彼男と遊びたがった。マイコの子供も2人姉妹で、彼女達は私の息男にまとわりついた。一人っ子の修平と違って、妹のいる息男は従妹達に関心がない。息男より息女[むすめ]の方が彼女達を構いたくて、「お兄ちゃんは向こうに行って」と、彼女達と息男を引き離そうとするが、彼女達は息男に抱き付いて、息女には目もくれなかった。

高校生の洋子叔母と私

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