私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

近視

 父は私を『タコ』、マイコを『チビ子』と、よく呼んだ。『タコ』は『好かんタコ』から来ているのか? マイコは中学生のときに家族4人の中で一番背が高くなり、『チビ子』の愛称は実態と合わなくなってしまった。
 マイコは母方の血筋を引いて、165㎝くらいある。48年(昭和23年)生まれの平均身長より10㎝高く、男子の平均と同じである。母方の従兄妹達は皆高く、修平など180㎝を超える。修平の息男は190cm。父方も殊更低い家系ではないのだが、父だけは156㎝しかない。158㎝の母は、父と並んで歩くときは道の端の低い方に行くように心掛けたと言う。ハイヒールはもちろん履かない。父は子供への遺伝を考えて、背の高い母を歓迎したようだ。自分より低い女性を選ぶ男性が多い中、私は父を称賛したい。でも私は残念ながら47年(昭和22年)生まれの平均身長で止まったので、どんどん高くなる若い世代の女性達を見上げねばならない。台所の仕様も、最近は私より高い女性を基準にしているから、フライパンでいため物をしたり、重い鍋をガス台から下ろしたりするときに不便を強いられる。
 父は自分の近視も嫌で、母が父より強い近眼だと結婚後に知って、「だまされた」とよく言っていた。母は普段眼鏡を掛けないので、結婚前はばれなかったらしい。近視もマイコに遺伝し、小学5年生から教室で眼鏡が必要になった。私の視力も正常ではないが、眼鏡不要のレベルである。父方の親戚では父だけが近眼なので、遺伝性はないのかもしれない。運動嫌いの父と私は子どもの頃に、外で紫外線を浴びる時間が少なかったせいだろうか? 家族全員、老眼年齢になっても老眼鏡が要らない。私は新聞の字の大きさが限界だが、母はもっと細かい字も晩年まで読めた。近眼用も老眼用も持たないで76年間過ごせている私は、視力1.5の人より便利かも。

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