私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

ワキガ

 四郎叔父の家には、女中(お手伝いさん)がいる。当時は課長以上は女中を雇うのが当たり前だった。私の家の近所に住む父の上司一家にももちろん女中がいたが、大事な物を持ち逃げされ、以後妻が独りで広い家を切り盛りすることになった。その話を聞いて少し前に見た『女中っ子』の映画がかぶさった。女中の給料は、私が高校2年のとき、四郎の家では2000円だった。中卒の初任給は8000円くらいだったから、食住付きだけど勤務時間が長いし、安いように感じる。女性だけの仕事だからか、家事見習いの研修も兼ねているからか? 次第に女中のなり手が減って、四郎の家も私が大学生のときにいなくなった。妻の春江は料理が好きじゃないらしく、よく出前を取っていた。
 四郎の家には修平のような遊び相手がいなくて退屈するが、春江が子供好きなのでよく遊んでくれた。妻夫に息女が生まれる前は、絽の浴衣や、イヤリングや、いろいろ買ってもらった。春江はエリザベス・テーラーに似た美人で、いつもきれいに化粧している。銭湯に牛乳を1本持って行って、洗顔に使う。マニキュアを私とマイコにも塗ってくれた。耳あかも取ってくれる。母に耳あかを取ってもらった記憶はなく、中学3年の健康診断で「耳あかが固まっている」との診断を受け、耳鼻科に行く羽目になった。私も子供達の耳掃除をせず仕舞いだが、2人とも耳鼻科の世話にならずに無事に成人した。私の耳あかはさらさらしているので、春江は掃除が楽しいらしい。マイコが見つけて、「マイコも」とせがまれたときは渋々取る。マイコの耳あかは父と同じでべたべただから、春江は気が進まない。父とマイコはワキガで、父は脇にミョウバンを塗って臭いを消していた。

絽の浴衣

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