私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

電熱器

 私の一家は、1950年(昭和25年)に京都の母の実家から大阪の社宅に転居し、私は3歳と4歳の2年間を掘っ建て小屋のような家で暮らした。父の会社の上役の土地で、空き地のままだと荒らされる危険があるので、社宅として貸し出すことにしたのだそうだ。2Kの平屋。京都の祖母父の家とは材質も広さも大違いだ。敷地は広いが、フェンスがないから知らない人が勝手に庭に入ってきて、小山のように盛り上がった場所を掘ったりする。金目の物が見つからないか探しているのだろうか? 母は家の中で怖がっているだけで、無断侵入者をとがめることなどできない。
 社宅には都市ガスも来ていなくて、母は毎日七輪に火をおこすか、火力の弱い電熱器で煮炊きせねばならなかった。心斎橋の近くの大都会だから、ガス管は昔から通っている地域なのだが、我が家には引き込まれていないのだ。七輪はまきを燃やして煙も出るので、庭で使う。事前にまき割りもせねばならない。
 母が庭でまき割りをしているのを、近所の子供達と一緒に見ていたある日、まきのかけらが私の目に入って、母は大慌てで私をおぶって眼科へ走った。妹のマイコを差し置いて私が母におんぶしてもらうことは普段ないので、よく覚えている。運動神経ゼロの私は、まぶたを閉じるのも人より遅いのか、それ以降も私だけ目にごみが入ることが多い。
 『電熱器』は、『電気コンロ』ともいって、コイル状に巻いたニクロム線を、白いセラミック板の溝に這わせた物である。大人になってから見る電熱器は、ニクロム線コイルが絶縁体で覆われ、渦巻き形の蚊取り線香のような形に変わった。
 七輪と電熱器での炊事は不便だったろうに、「大阪に引っ越して、自分の城を持ててうれしかった」と母は言う。実の親姉妹でも同居は鬱陶しいらしい。実家は子供の面倒を見てくれる人が大勢いるし、話し相手にも事欠かないし、社交好きの母だから亭主関白の父とだけの生活より楽しかったのではないかと私は憶測していたのに、意外だった。親姉妹と夫の間で板挟みになって、気を遣うことが多かったと言う。サザエさんはどうなのだろう?

電熱器:株式会社満室計画のサイトより

×

非ログインユーザーとして返信する