私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

立体ジグソーパズル

 祖母の家にはいち子伯母の息男の修平と高校生の洋子叔母がいて、トランプやダイヤモンドゲームなどをして遊んでくれる。マイコと2人姉妹の私は兄のような修平と遊べるのがうれしい。背の高い修平は小学生なのに大人の自転車を乗りこなし、私とマイコを交替で後ろに乗せて近所を走ってくれる。戦争ごっこをして、「キリちゃんの武器は原子爆弾な。しゅうちゃんのは水素爆弾な」と言ったり、遊びが奇抜。山崩しの相手もよくさせられたが、器用な修平に全く歯が立たなくて、これは面白くなかった。修平の小学校は夏休みに火の用心の巡回当番があり、修平と一緒に子供達の行列に参加したこともある。リーダーの拍子木に合わせて、皆で、「火の用心! マッチ1本火事の元!」と叫びながら近所を歩く。
 私が小学校中学年のある日、球状の立体ジグソーパズルを修平がばらばらにして、「これを元通りにはめられたらあげる」と言ったので、大喜びで取り組んだ。木製で絵は描いていない。10個ほどのピースをああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、何時間かかかって成功したら、いち子伯母が感心してくれた。
 修平は小学校中学年まで自分のことを『しゅうちゃん』と呼んでいた。私は『わたし』、マイコは『マイコ』と言うのに気付いたいち子が、「あんたも、キリちゃんやマイちゃんみたいに、『僕』か『修平』にせんと。自分に『ちゃん』を付けるのはおかしいよ」と、突然私達の前でたしなめた。修平はその日から『僕』に改めた。学校でも『しゅうちゃん』と言っていたのだろうか? 私の教え子で、高校生なのに自分の名前に『ちゃん』を付けて友達と話す生徒を、2人見ている。1人は短大卒業後、夫が勤務する職場で工場長秘書に抜擢され、てきぱき仕事をこなす女性だと夫が感心していた。短大時代に適切な言葉遣いやマナーを習得したのだろうか?

ダイヤモンドゲーム:Wikipediaより

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