私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

終戦っ子

 K小学校の1年生は5学級である。1学級50余人なので、新入生は300人近いことになる。3年生も5学級だが、2年生は4学級しかない。1945年度(昭和20年度)生まれは、『終戦っ子』と呼ばれ、『産めよ増やせよ』の戦中世代と団塊の世代の谷間に位置する少人数の学年なのだ。徴兵で国内に残っている男性が少ない中、アメリカ軍の空襲に逃げ惑いながら暮らす毎日だから、子供の誕生が減って当然だろう。
 私の学年の1年下は7学級に増えた。その下のマイコの学年も7学級で、この2学年が団塊の世代の頂上に君臨する。私の1年下は、入学当初教室が足りなくて二部授業になった。午前に登校するグループと午後登校のグループに分けられた。その下のマイコ達は二部授業を免れたものの、K幼稚園に1年しか通えなかった。1年上の園児が多くて2年保育を受け入れることができなかったためである。マイコを2年保育に入れたい母は残念がっていた。

終戦っ子の坂井義則:1964年東京オリンピックの聖火最終ランナー:Wikipediaより
彼男は広島に原子爆弾が投下された日に生まれた

×

非ログインユーザーとして返信する