私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

エンゲル係数

 毎日の食料品は駅前の市場で買う。大阪と違ってT市にはデパートなどない。代わりに大きな市場があり、母は籐編みの買い物かごを持って通う。外出が嫌いな私は、マイコと一緒に留守番していることが多いが、彼女がいないときは、泥棒が怖くて独りで家に残れず、母についていくか、少量の買い物なら私が使いを引き受けるかした。
 母が私に千円札を見せて、「これで3日間もつ」と言ったことがある。我が家は同収入のよその家庭よりエンゲル係数が高かったと思うので、よそは千円をもっと長く使えたろう。母は肉料理と魚料理を毎夕交替で作るが、当時の庶民はまだ肉や魚を毎日食べていなかったようだ。関西では、『肉まん』を『豚まん』と呼ぶように『肉』といえば牛肉を意味する。ちなみに鶏肉は『かしわ』という。我が家は水炊きにかしわを使う以外、牛肉しか食べない。しかしよそは、牛より安い豚や鯨やかしわを買う家も多かった。
 いや、父が外食・店屋物を好まないから、我が家のエンゲル係数はそんなに高くなかったかも。私は夜鳴きそばも知らなかったのだから。母の手料理だけで育った私は、すっかり母の味に慣らされ、他家の食事は高校生の頃まで口に合わなくて困った。

籐製の買い物かご:イラストacより

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