私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

回虫

 ジェーン台風と並ぶ大阪時代の強烈な思い出は、蛇のような回虫がお尻から出てきたこと。駆虫薬を飲まされた後、庭で排便したら、便と一緒に出てきた回虫がぐにゅぐにゅうごめいている!(と思ったが、実際は既に死んでいたのかも。) そばに付いていた父が、回虫を駆除できてよかったという表情をしているのを見て、恐怖感が少し和らいだものの、おぞましい光景だった。この気味悪い虫が、今まで自分の体内にいたのだ!
 当時の日本人の多くが寄生虫に悩まされていた。農産物の肥料を人糞に頼っていたからだろう。父は人糞の代わりに化学肥料を使うべきだと言っていた。私は化学肥料も避けたいと、結婚後はなるべく有機野菜を購入している。大学で化学を専攻した私だが、怠惰な学生だったので化学物質の恐ろしさのみを学んで卒業した。私の大学時代は、世界が環境汚染に目を向け始めた時期で、化学物質の毒性にも関心が高まりつつあった。「野菜に付着した農薬を除去するために、野菜を食器用洗剤でしっかり洗うべきだ」と言う教授がいたが、私は洗剤の毒性も気になった。洗剤を誤飲した男性が死亡するという事件が、大学に入学する3年前に起きたからだ。
 駅や学校でDDTを頭から浴びせるようにGHQが指示したことも、「シラミが退治されてよかった。日本が清潔になった」と、父は評価する。シラミの大発生後に生まれた私は、DDTの発癌性が問題になった頃にGHQの散布を知り、《よくそんな危険なことを日本人に強制したわね。GHQは被占領国の日本を見下していたのね》と憤ったが、当時はアメリカも毒性を知らず、よいと信じて世界中にDDTをまき散らしていたようだ。

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