私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

ジェーン台風


 50年(昭和25年)9月3日にジェーン台風が来た。76歳の現在まで自然災害に因る大きな被害を被っていない幸運な私にとって、ジェーン台風が一番の恐怖の思い出である。暴風でガラス戸がガタガタすごい音を立て、母が外れないように必死になって押さえていた。3歳の私と1歳のマイコは夏だというのに何枚も厚着させられ、靴も履いて、畳の上に立っている。靴を家の中で履くことに強い違和感を覚え、母の形相からも、これはただごとではないと緊張した。いつでも逃げられるようにと、母が私達に身支度させたのだ。日曜日なのに父が家にいない。後年の母の話では映画を見に行っていたとのこと。台風の予報があったろうに、なぜ映画館になんか行ったのだろう? 慎重な性格の父らしくない。台風のさなかに父がようやく帰宅すると、母はたちまち安堵の表情になった。それを見て私もほっと緊張が解けた。このような非常時はやはり母より父の方が頼りになる。普段は母のそばにいると安心する私だが。父がガラス戸に心張り棒を当てたので、母はガラス戸を押さえている必要がなくなったそうだ。雨戸もないちゃちな家だから、ガラス戸が倒れたり、ガラスが割れたりしたら、『恐怖の思い出』ではすまず、悲惨な体験になったろうが、大事なくジェーン台風を見送ることができた。死者を何百人も出したジェーン台風は、大阪市より西で大暴れしたのだろうか? ちなみにこのころの台風は皆、アメリカ式の名前がついている。GHQ(連合国総司令部)が名付けた。

気象庁のサイトより

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