私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

大文字焼き

 琵琶湖から帰ると、私とマイコは今度は京都で10日間ほど過ごす。祖母父の家と四郎叔父の家に泊めてもらう。父は厚かましいと思わなかったのだろうか? 東京に転居してからも父は毎夏私達を京都に送った。祖母父は孫の私達より息女の母が来た方がうれしいだろうに。私も結婚後子供を両親に預けてよく旅行したが、用もないのに実家に行かせることはしなかった。子供が学校に上がってからは、私の留守中に母が我が家に来て子供の面倒を見てくれた。母は父から解放されて羽を伸ばせるので喜んでいた。父も文句を言わずに独居生活に耐えてくれた。祖母父が孫の世話を手伝うのは当然の義務と考えていたらしい。
 祖母父の末っ子の洋子叔母が風邪で寝込んで、祖母が彼女の子供の世話に行っている間に、祖父も病気になったことがある。祖母父と同居のいち子伯母は、祖父の看病と仕事の両立の忙しさに音を上げ、「早く帰ってきてほしい」とぼやいていると聞いて、父は、「そら、孫を放っておけんし、帰れんのもしょうがないなあ」と私に言った。孫と配偶者のどちらの面倒を見るべきか。当時大学生だった私は配偶者を優先すべきだと考えていたが、父は違った。
 私自身は京都行きの行事より自分の家で好きなことをして過ごす方が楽しいのだが、「京都に行きたくない」と拒否すればよいことに気付かず、高校2年まで毎夏マイコと京都の親戚の家を泊まり歩いた。もちろん京都では面白い経験もいろいろできた。大文字焼きを見たり、地蔵盆に大きな数珠を子供達でぐるぐる回したり、鴨川の納涼床で鱧[はも]を食べたり、祇園の置屋で舞妓のお姉さんに会ったり……。

大文字焼き:京都市観光協会

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