私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

大阪城

 マイコに、「大阪城に行ったのはいつやった?」と尋ねると、「ずっと前」と答える。「三輪車で遊んだのはいつ?」と尋ねても、「ずっと前。」 1週間前のことでも、30分前のことでも、「ずっと前」と言うので、父が面白がって、「マコちゃん、いつ何々したん?」のような質問をわざとしては、マイコに「ずっと前」と言わせて楽しんでいた。
 私は私で、「マコちゃん、はよ食べる競争しよか」とだまし、マイコの方が先に食べ終わるのを見てほくそ笑んだりしていた。私は好きな食べ物をマイコより先に食べてしまいたくなかったから。私がゆっくり食べても幼いマイコは更にゆっくりだから、無理やり急がせて私の分が先になくならないようにたくらんだ。
 マイコはまた、過去の小さな出来事をすぐに忘れてしまう。一緒に遊ぶとき何度も同じ説明をしなくてはいけないので困るが、私の『悪事』を見つけてもすぐに忘れてくれるのは、私にとって好都合だった。マイコが両親に告げ口しないように、しばらくマイコの相手をして忘れるまでの時間を稼げば、両親にばれずにすむ。私と同年輩の子供でも、マイコほどではないが、やはり忘れっぽいことに気付いた。私が事細かに覚えている事柄が、彼らの頭からすっぽり消えている。逆に彼らの記憶に残っているのに私が忘れてしまっているものもあるだろうが、彼らより私の方が圧倒的に多くを記憶していると確信できた。
 いつだったか、母に私の『悪事』をとがめられ、大反省したことがあった。『悪事』の内容は思い出せないが、そんなことをした自分が恥ずかしくて、それを知っている母に早く忘れてほしいと願いながら床に就いた翌朝、もう忘れているかなあと、それとなく探りを入れたら、しっかり覚えていることが分かって、《やっぱり大人は子供のようにいかへんなあ》と落胆した。父や私に比べて健忘症の母だが、さすがに幼児とは違う。
 晩年の母に昔のことを尋ねても、「さあ、どやったやろな、忘れてしもた」と、聞きたい答えが返ってくることはまずなかった。ただ1件、大阪の社宅について、入居時は庭の周りに板塀と門があったが、ジェーン台風で倒れてしまい、その後の1年半は塀なしだったと、89歳のときに教えてくれた。私は塀がなくなってからの庭しか覚えていない。

大阪城天守閣:Wikipediaより

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