私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

 小学校低学年のある日、別荘に10人近くの親戚が集まったので、鶏肉のすき焼きパーティーをすることになり、二十歳くらいの男性が生きた鶏を3羽持ってきた。1羽を左手でつかむや、右手で首をねじった。ちぎれた頭の方をバケツの中に落とすと、ボトンと音がした。左手に持った首なしの体がばたばた暴れ、手から放れて走り出す。それまでしゃがんで息をのんで見ていた私とマイコは思わず立って後ずさりした。頭部がないのに元気に走り回るのに驚いた。その後の解体はもう見ていないが、もっと早くに見るのをやめればよかったと後で後悔した。今も断末魔の鶏の姿が目に浮かぶ。
 数時間後、親戚の大人達はすき焼きの鶏肉に舌鼓を打っていたが、私は気持ちが悪くて食べられない。鶏の腹にあった殻なしの卵を母が鍋に入れて、「食べよし」と言う。とんでもない! 食欲のない私は野菜と豆腐だけどうにか食べた。玉子は琵琶湖から我が家に帰っても数日間食べられなかった。牛や豚の屠殺を見たら、私はどうなるだろうか? 肉になる過程の怖い箇所を他人に任せて知らないふりして、おいしく食べている勝手な私達。祖母が庭で飼っていた鶏を処分することにしたとき、肉屋に渡した鶏達とは別の肉をもらってきたそうだ。

   私と息女の合作

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