私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

進駐軍

 家の前を進駐軍のジープが頻繁に往来する。当時の日本は連合国軍に占領されていた。軍服姿のアメリカ人も歩き回っていて、私達子供を見ると愛想よく話しかけ、ガムをくれる。チョコレートをもらった子もいたらしいけれど、私はいつもガムだった。優しいお兄さんだと思う一方で、日本人の大人達の彼らを畏怖する感情が私にも伝染して、ちょっと怖くもあった。背が高く、日本人と異なる目鼻立ちで、言葉も英語だし、それらの点も私に恐怖を感じさせたかもしれない。人見知りの強い私は、ガムを受け取ってもほほえみ返すことすらできなかった。「チューインガム、おくない」と、進駐軍のお兄さんに自分から手を出して請求する子もいたが、引っ込み思案の私にはとんでもないことである。
 『進駐軍』と合金の『真鍮』の両方が同じ『シンチュー』なのは、漢字を知らない私の頭を混乱させた。『真鍮』は銅と亜鉛の合金で、プラスチックが普及する前は真鍮製品が身の回りに多く、3歳の私でも『真鍮』という言葉を知っていた。現在でも5円玉や金管楽器は真鍮で造られている。
 進駐軍のアメリカ人を『お兄さん』と書いたが、当時の私は多分『おじちゃん』と呼んでいたと思う。幼児期の私は大人の年齢が判断できなかった。子供と同様、身長が高いほど年齢も高いのだろうと思っていた。《おばあちゃんはお母ちゃんより背が低い。お母ちゃんのお母さんで年上やのになんで?》と、矛盾は感じていたが。進駐軍の若いアメリカ人も、両親と同じか年上に見えるので、『お兄さん』ではない。幼児の私にとって、『お兄さん』は従兄の修平のような子供を意味し、大人の男性は皆、『おじさん』か『おじいさん』のどちらかのカテゴリーに属する。
 向かいの家の征子[ゆきこ]ちゃんと2人で道路に立っていたとき、珍しく乗用車が走ってきた。普段よく見かける車は、進駐軍のジープか、日本人の乗るオート三輪か、でなかったら二輪車のスクーターである。乗用車は私達の前で止まり、後ろの窓からアメリカ人の男性が私に手招きを始めた。日本人は手の甲を上にして四本指を振るが、彼男は手の平を上に向けている。それが異様に見えて、私は足がすくんでしまった。「おいで言うたはるで」と、3つ年上の征子ちゃんに促されると、よけいに恐ろしさが込み上げて、一歩も動けない。そのとき私は赤い靴を履いていたのだ! 『赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった』という野口雨情の童謡が頭に浮かんで、体が硬直し、逃げることもできない。しばらく待っても彼男に応じない私に腹を立てたらしく、彼男は突然不機嫌な表情になり、乗用車は走り去った。そのときの彼男の怖い顔が今も目に浮かぶ。今は思い出しても懐かしいだけだが、当時から数年間は恐怖の記憶だった。中年の顔だったと今の私は判別できる。乗用車で移動する彼男は、歩き回っている進駐軍の若者達より地位が高かったのだろうか?

オート三輪:Wikipediaより

×

非ログインユーザーとして返信する