私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

私立志向

 お姉さん達の卒業後、いつも教室まで呼びにきてくれた1人に、学校の近くで偶然会った。彼女もはにかみ屋なので恥ずかしそうにほほえむだけで、私に話しかけることもなく別れた。彼女がK中学校の制服を着ていたことに気付いた私は、少し驚いた。K小学校の卒業生は私立の中学校に進学するのが当然のようになっていて、K中学校に行くのは貧しい家庭の子供だけだと思っていたからだ。M小学校に通った山本さんの子供達も皆私立の中学校に進み、電車通学していた。
 当時は全国的に公立志向だったが、阪神間の住民は既に私立志向だった。学業成績の良い女子は神戸女学院を、男子は灘中学校を目指す。芦屋の叔母ちゃん(母の叔母)の長女と長男も神戸女学院・灘中に通った。私も神戸女学院を受験すると思っていたら、5年の夏休みに急遽東京に転居し、結局私は幼稚園から大学まで国公立で通すことになった。
 灘中や神戸女学院ではなく、大阪学芸大(現大阪教育大学)の附属、大阪市立中学に越境後有名府立高校などの国公立に進学した友人も多い。京都の同志社中学まではるばる通った友人もいる。阪神間の小学生は勉強のできる子もできない子も学区の公立中学校を嫌うという印象を私はずっと持っていた。大学生になって、K中学校・県立K高校を出て有名国立大学に進学した同級生と再会し、K中学校にも大学進学を志す女子がいることに驚いた。私の時代の4年制大学進学率は、男子が1割強、女子は5%未満だったから。彼女の話では大方がK中学校に進んだそうだ。私は彼女ともう1人しか同期生で知らないが。K中学校で教育実習したという私より少し上の知人から「素直な生徒達で楽しかったわ」という感想を聞いた。私が抱いていたイメージとは全く違う中学校だったようだ。一方今でも「K中学校には行きたくない、行かせたくない」と公言する友人も大勢いる。

イラストACより

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