私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

階段タンス

 流しのそばに井戸があるが、私が物心ついたときにはもう使っていなかった。小学校高学年の頃に、無用の井戸を壊してその場所にシャワーを取り付けた。土間の片隅のシャワーは、周りに覆いがなく、全裸が丸見えの状態。銭湯に慣れている彼らは家族に裸を見られても気にならないのだろう。立派な家でも浴室がないから、皆銭湯を利用する。京都の夏は暑いのに、入浴はおろかシャワーにも掛かれなかったのだ。いち子伯母が、浴室をトイレの横に設置したり、走りに茶の間の畳と同じ高さの床を張ったりしたのは、私が高校を卒業した1965年(昭和40年)以降である。
 階段は段差が高く、踏み面の奥行きも広い。幼児の私は這って上り下りせねばならない。下りるときは後ろ向きになる。前向きに下りられるようになっても、手すりにつかまりながら一段ごとに足をそろえる。この家に住んでいた2歳の頃の私は、自力で階段を昇降できたのだろうか? 活発な洋子叔母は子供の頃階段からよく落ちて、時には気を失うこともあったそうだ。いち子は洋裁教室の仕事中に何度も階段を使うが、トントントンとリズミカルに下りてきてすごい。階段の下はタンスになっている。『階段タンス』という。引き出しの前面は正方形で、深さと奥行きの長い引き出しである。母が子供の頃は、4人姉妹に引き出しを1杯ずつ宛てがわれていた。
 夏は夕方になると玄関先に床几[しょうぎ](縁台)を出して、夕涼みしながら近所の人とおしゃべりする。女性は家事で忙しいのか、男性が多かった。囲碁や将棋を指す人もいた。蛍光灯が普及していない時代、夕方は屋内より外の方が明るく、風もあって涼しい。今なら車の通行の邪魔になるし、車の排気ガスを吸うしで、涼んでいるどころではないだろうが。

階段タンス:母の実家は戸棚の部分も引き出しになっている

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