私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

ブリキのおもちゃ

 両親からおもちゃらしき物を大阪時代に買ってもらった記憶がない私は、一郎伯父が来訪したときにくれたブリキ製のままごとセットが頭に強く焼き付いている。その日は就寝時まで夢中になって、ブリキの茶碗や鍋でままごと遊びをして過ごした。
 おもちゃらしき物を買ってもらわないと書いたが、従兄の修平が成人してから、「キリちゃんは三輪車とかいろんな物を持ってて羨ましかった」と私に漏らしたことがあり、私は驚いた。当時は修平の家より我が家の方が僅かに裕福だったかもしれないが、いち子伯母は一人息男を大事に育てる教育ママで、必要と思う物は金目を厭わずに買い与えている様子だったのに、人それぞれ感じ方が違うものだ。三輪車やスケーターは、父でなく、一郎伯父が買ってくれたのだと思うが。
 本は結構買ってもらった。絵本の文を暗唱していたそうだ。絵本を見ながら、「ポチや、もうお昼寝の時間だからおまえのお宿で寝ておいで」とか、独りで言っていたそうだ。私自身は、両親に読み聞かせをしてもらった記憶がない。物心がついたときは自分で読んでいた。私の子供達が小さかった頃に、母に絵本の朗読を頼んでも、「喉がいとなる」と言って、一度も読んでくれなかったが、私が字を読めない頃はこまめに読み聞かせてくれていたのだろうか? 体を動かす遊びよりじっと座ってする遊びを好む私は、読書も好きだった。私の息女も私同様運動嫌いで、幼児期から独りで絵本を読み、読み聞かせは3歳くらいまでに卒業した。息男は小学校入学まで読み聞かせを続けねばならなかったが。彼女は5歳になると、幼稚園の友達に本を読んであげていた。一生懸命文字を追いながらたどたどしく読むのを、友達が難しい顔をして聞いているのを見て、私は笑ってしまった。彼女の下手な朗読から内容を把握しようと努めたら難しい顔になるのも当然だ。辛抱強く聞いてくれた彼女に感謝する。
 私は平仮名より先に片仮名を覚えた。両親の時代は学校で片仮名を先に教えていたから。戦後は平仮名が先だと知ると、慌てて平仮名も教えてくれた。当時の絵本は片仮名で書いてあったのだろうか? 自分で読むようになってからの童話は平仮名で書かれていた。小学校に入学後も片仮名を見る機会は少なかったが、友達が理解できない看板の文字などが読めて得したと思うことはしばしばあった。学校の授業では片仮名を完全に修得するのに3年生までかかっていた。

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