私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

はな垂れ小僧

 『征子』や『征夫』のような名前の知人が、終戦前に生まれた世代に何人かいる。戦勝を祈ってつけたのか? 戦後生まれの私達団塊の世代では、『征』の字の付く名前はまずないだろう。
 征子ちゃんの父親は事業家で、我が家と対照的な豪邸に住んでいる。征子ちゃんは数人のきょうだいの下から2番目だ。末っ子のかっちゃんは、私と同じ学年である。かっちゃんはほかの男の子と違っておっとりしていて、乱暴でなく、私の一番の友達だった。『ええとこのぼん』なのに、いつも鼻水を垂らしている。(当時は彼男以外にもはな垂れ小僧が多かったが。)
 当時ははな垂れ小僧だけでなく、冬場に手が霜焼けにかかっている子が多かった。私の家族は霜焼けにならない体質のようで、代わりに父を除く3人がひびで痛い思いをした。手の指の皮膚がひび割れし、冷たい水が染みてつらい。地球温暖化の現在、大阪のような暖かい地方で霜焼けやひび・あかぎれを起こすことはないだろうが、童謡の『たきび』の歌詞に『霜焼けお手々がもうかゆい』とあるように、冬は霜焼けになって当たり前だったのだ。たき火もダイオキシン発生の抑制で禁止になり、団塊世代の小児期はますます遠いかなたに行ってしまった。私はさかむけ(ささくれ)もよくできて、「親不孝やから」と祖母にからかわれた。
 京都と大阪に住んでいた頃は、夏のあせももひどかったらしい。ペースト状の歯磨き粉(粉じゃないのに『歯磨き粉』と呼ぶのはおかしいと、私は常々思っている)を塗ってくれたそうだが、効果があるのだろうか? 四郎叔父が「アパッチや」とからかったのを覚えている。アメリカの西部劇映画に出てくるアパッチの化粧を連想したらしい。母の話では、頭に『あせもの親方』ができて、医師に切ってもらったそうだから、今もそこははげになっているにちがいない。私の子供達は、あせももさかむけもできずにすんだ。
 かっちゃんは、私の一家が兵庫県に転居後、母親と一緒に遊びに来たことがある。ビフテキ(ビーフステーキ)を出すと、就学前なのにナイフとフォークを上手に使うので、「やっぱりええおうちはしつけが違うなあ」と母が感心していた。ところがしばらくして、父親が事業に失敗し、かっちゃん一家は豪邸から引っ越してしまった。私は10年後にかっちゃんと文通を始めた。

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