私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

アメリカの州

キリコ

 吉村先生は、毎日のように退勤後我が家に寄って、母と話していく。勝手口から入って台所の床に腰掛け、夕食の準備をする母に学校での不満をぶちまける。学校の内情を知らない母は、適当にあいづちを打っているだけで真面目に聞いていないのに、先生はそれで不満が解消するのか、ひとしきりしゃべった後駅へ向かう。隣の部屋でながら作業をしている私の方が、先生の話をしっかり聞いていたかもしれない。私も学校の組織がよく分かっていないから、あまり理解できなかったが。

 たまに夕食を共にする。物知りの父に先生がいろいろ尋ねると、父は上機嫌で丁寧に教える。6年になって世界地理が始まったとき、「アメリカは48州もあって、名前と位置を覚えるのがたいへん」と言う先生に、「全部覚える必要はないでしょう」と父が答えたのを思い出す。母も家庭科については、裁縫が得意で食事も毎日作っているから先生にアドバイスできる。小学校は毎日新しい内容を教えなくてはいけないのでたいへんだと思う。中高の教員は数クラスの授業をもち、同じ内容を数回繰り返せるから、新しい内容の準備は週に3、4コマ分で済むが。ちなみに6年の3学期(1959年、昭和34年)にアラスカ、中学1年の8月にハワイが州に昇格して、アメリカは50州になった。国旗の星の数がころころ変わったのが印象に残っている。

星条旗:WIKIPEDIAより 左から48州時代、49州時代、 50州(現在)

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