私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

調理実習1

キリコ

 調理実習は女子だけだから、男子が羨ましがった。私は料理を含む家事全般が好きじゃないので、うっとうしかった。作った料理も、母の味付けに浸り切っている私はイマイチおいしいと思えない。割烹着と三角巾を着ける。割烹着を着て料理を作る主婦は当時すでに見当たらなかった。京都の祖母も普段着の着物を洋服に変えてから、割烹着の代わりにエプロンを着けるようになった。割烹着は制服全体を覆うので、制服が汚れなくてよい。こまめに洗濯できない制服の汚れが食べ物に触れない点もよいと思う。

 調理実習の前日に各自が米を1合(180mL)ずつ持ち寄り、班ごとに研いで翌日まで水に浸しておく。当時の米は吸水時間が長く必要だったようだ。私は米が柔らかくなりすぎて嫌だったが。米の購入は米穀通帳が必要なので、家から持参せねばならない。米以外の食材は家庭科の先生が全て用意してくれる。米は文化鍋で炊いた。1950年(昭和25年)発売の文化鍋を私は学校で初めて見た。私が中学校に入学した1959年(昭和34年)は家庭に電気炊飯器が普及し始めた頃で、まだ炊飯器のない多くの家は従来の羽釜で炊いていた。文化鍋は普通の鍋と違って縁が蓋の位置より高いので、炊いているときに吹きこぼれない。アルミ製だから羽釜のように重くないのも長所だ。

 プディングの調理でカラメルソースを作ったとき、無色透明の砂糖水を加熱すると焦げ茶色に変わっていくのが興味深かった。水の体積の3倍以上の砂糖が簡単に溶けてしまうのに驚いた。菓子のキャラメルもこのようにして作るのだと知った。母のプディングはカラメルソースなし。甘ったるいカラメルソースはなくても私はおいしい。市販のプディングは安い材料で作ってあるのかどれもまずかった。自家製やレストラン並みのコクのあるプディングは、モロゾフの1962年が最初だろうか?

   文化鍋:マイベストのHPより

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