日食
6年生(1958年、昭和33年)の4月19日に日食が起きた。土曜日だったので給食がなく、弁当持参になった。手の平くらいの大きさのガラス板が配られ、ろうそくの火にかざしてすすを付ける。そのガラス板を通して太陽が欠けていくのを観察したが、今では目を痛めると禁じられている方法だ。昼なのに辺りが暗くなったことが記憶に残っている。八丈島や徳之島では金環食が見られたそうだ。54年後の2012年(平成24年)5月21日の日食のときは日食グラスをもらった。『金環食』の名前も、『金環日食』に変わっていた。
6月から校舎の増設と体育館の工事が行われ、狭い校庭がますます狭くなって、ベビーブームの私達は休み時間ひしめきあっていた。そのおかげで私達の卒業式はそれまでの講堂ではなく、体育館で挙行された。
1958年の日食
1958年に小中学生だった方、学校でどのような方法で日食を観察なさったでしょうか?
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