シネラマ
3年生(1955年)の12月30日は、家族4人でシネラマを見に行く予定だったが、1年生のマイコが「行くの、嫌や」と言い出し、急遽近所の山本さんに預かってもらうことになった。2時からのシネラマの前に、大阪の高級レストランでビフカツ(ビーフカツレツ)を食べた。父はビーフステーキよりビフカツが好きなのだ。父は大衆食堂に連れていってくれたことはないが、たまに高価なビフカツを食べさせてくれる。私もファミレスに行くくらいなら、家で常備菜を食べた方が時間と金が節約でき、添加物や栄養面でも優れていると考える。母と夫は正反対で、小腹が空くと目に留まった店に躊躇なく入って小銭を使う。安物買いの銭失い!
シネラマを見るのは2回目だった。最初のシネラマは『これがシネラマだ』で、2年生のとき。ウイーン少年合唱団の澄み切った歌声や、ジェットコースターに乗った臨場感などが記憶に残っているが、2回目の『シネラマ・ホリデー』はスキーをしたことくらいしか覚えていないので、日記帳の詳しい記述が興味深い。アメリカ人のマーシュ妻夫がヨーロッパ旅行をする。行きの飛行機に乗っているとき、「落ちる心配はありません」というアナウンスがあったと書いてある。当時飛行機に搭乗した経験を持つ観客は希有だったからか? ヨーロッパでマーシュ妻夫は、そりに乗ったり、アイスダンスを鑑賞したり、スキーをしたりしたそう。ネットで調べると、スイスのトローラー妻夫がアメリカ旅行した話もあるが、日記帳には書かれていない。多分ストーリーの全体が理解できなくて、分からない部分をオミットしたのだろう。マーシュ妻夫を『マーシーふさい』と書いている。そう聞こえたらしい。
シネラマを上映する映画館のスクリーンは、大型で両端が手前に湾曲している。画面が4Kや8Kテレビのように鮮明できれい。乗り物に乗ったときの臨場感も素晴らしい。『これがシネラマだ』を見る前に宝塚の遊園地でウエーブコースターに乗っていたので、急速で下るときの怖さがよみがえった。2回目の『シネラマ・ホリデー』は二番煎じの印象しかなく、日記を読んでもスキー以外は場面が目に浮かばない。
その1年後かにシネラマの第3弾も見るはずだったが、当日芦屋の叔母ちゃんの二女が来て、私とマイコは彼女と出かけることにした。私はどちらも気が進まなかったが、折角来てくれた彼女に応えねばと考えた。高校を出て銀行に就職したばかりの二女は、いつも私達を洋画に連れていく。私は字幕がしっかり読めなくて話の筋もよく分からない上に、恋愛映画に興味がない。彼女は独りで感動して涙を流している。マイコは私以上につまらなかったにちがいない。映画を見ながらやっぱりシネラマにすればよかったと悔やんだが、手遅れ。ちなみに当時の映画館は自由席で、小学生は入場料が要らなかったようだ。シネラマは指定席だったが、両親の席しか買ってないので、私は空いている席に座って見た。
芦屋の叔母ちゃんの二女は、幼い私達と両手をつないで歩くのが楽しいらしい。3年生の1月1日の日記にも、彼女が私達を神戸のジャズ喫茶に連れていってくれたと書いている。子供のいない幸子叔母も私達を連れ歩いて楽しんでいた。芦屋の叔母ちゃんには、長女、長男、二女、二男の4人の子供がいるが、夫の死後経済的な事情から、長女は大学中退、二女は高卒で就職した。男2人だけ大学を卒業した。就職後の二女は我が家にしょっちゅう遊びに来た。私の両親に良くしてもらったと、八十代の今でも当時を懐かしんでくれる。
OS劇場:阪急東通り商店街HPより