私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

大学ノート

キリコ

 対面式の後、教科書の販売業者が校庭で教科書を売る。1冊100円くらいでも、9教科分を買うと1000円を超える。千円札を手にするのは生まれて初めてなので緊張した。小中学校の教科書が無償になったのは、1963年度(昭和38年度)の小学1年生からである。私より10年下だ。

 万年筆を買ってもらったのがうれしかった。それまで葉書も鉛筆で書いていた。年賀状は毛筆を使った。公文書など鉛筆書きが不可のものが多いので、大人は万年筆が必須である。万年筆に代わってボールペンが普及するのは1980年代(昭和50年代後半)に入ってからだと思う。万年筆の字は水にぬれるとにじむ。夏休みに級友から来た暑中見舞いの葉書に水をこぼして悔やんだことがある。シャープペンシルも私の中学時代は普及しておらず、鉛筆を削るための切り出しナイフを学校に持参する子もいる。S小学校では鉛筆の両端とも削っている子が多かった。兵庫県のK小学校ではそれを『泥棒削り』と呼んで下品とみなし、誰もしなかったが、私は転校して、1本の鉛筆が2本分の役割をするのは効率的だとS小学校に軍配を上げた。でも私自身は泥棒削りはせず仕舞い。鉛筆が短くなって使えなくなったとき、芯が長く残ってもったいないから。Y中の生徒も泥棒削りをしない。

 男子は腕時計をしている子が多い。私は中学2年生になってから8000円の結構上等な腕時計を買ってもらった。ぜんまい式だから毎日リューズを巻く。

 小学校のノートは教科名が表紙に書かれていたが、中学校は音楽以外同じ大学ノートを使う。1冊10円。英語だけ、1年生は赤線の入った四線ノートだったような気がする。1年生の頃は教科別に大学ノートを用意したものの、ノートを何冊もかばんに入れて持ち運ぶのは重い。2年生になって1冊のノートをどの科目にも使うことにした。中学校生活に慣れるに従って手抜きを工夫する。

 机も椅子も小学校と同じ木製。机が2人用ではなく、1人用だ。普段は机を2台くっつけて座り、テストのときだけ離して、8列を7列にする。7列のときは8人の机と椅子が縦に並ぶので、最後尾に座る子の椅子が後ろの壁に当たる。

 校庭はS小学校と同様アスファルト。体育大会は隣接する広いグランド(グラウンド)で行われる。放課後の運動部の練習もグランドを使う。校庭の隅に藤棚があるのが素敵。藤棚の下のベンチに座って級友とおしゃべりすると、典型的な女学生になれる。でもすぐに飽きてしまった。花の季節が終わってからはベンチで憩うことはなくなり、以後卒業まで藤棚へ一度も足を運ばなかった。私は生来のロマンチストじゃないから。校庭の別の片隅にゴミの焼却炉もあった。1999年(平成11年)のダイオキシン類対策特別措置法で野焼きが禁止されてから、学校の焼却炉も使用禁止になった。

  大学ノート

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