赤面症と場面緘黙症
自意識が強くなったからか、赤面症を自覚したのもこのころだ。自分のドジな振る舞いが恥ずかしくて、顔が赤くなる。赤くなること自体も恥ずかしくて、もっと赤くなってしまう。『場面緘黙症』という障害の存在を今年初めて知った。私は場面緘黙症でもあったのではないかと今思う。初めて会った人に話ができず、相手の質問に首を縦か横に振るだけが精一杯。大宝幼稚園でおしゃべりした子はかっちゃんとクウちゃんの2人のみ。小学校に入学してからは同級生なら誰とでもすぐに話せるようになったけれど、担任の先生や近所のおばちゃんには最小限の受け答えしかできなかった。同級生は私と同程度に幼稚であることに気付き、気楽に話せるようになったのだ。1年生の昼休みに上級生が私をままごと遊びの仲間に誘ってくれた話を前に書いたが、何十回も一緒に遊びながら、私は全く口を利かなかった。中高の同級生は勉強ができる私に一目置いてくれるので、私は彼らを見下ろすような気分で接することができた。担任の先生に相談できるようになったのは、高校入学以後である。それまでは面談時も「はい」、「はい」と返事をするだけだった。就職後も10年以上年上の男性は苦手で、何を話題にしたら気に入ってもらえるか分からず、彼男の話に頬笑みながらうなずくことしかできなかった。還暦を迎えた頃からようやく年配の男性と世代差を感じなくなり、彼男らと会話を楽しめるようになった。医師に遠慮して自分の希望を言えない患者が多いが、今の私は臆せずに次々と納得できるまで質問する。
赤面症は大学時代に治った。年齢とともに厚かましくなってきたところへ、化粧が赤面を隠してくれることに気付いたから。赤面がばれていないと思うと落ち着いていることができ、それ以上赤くならないですむ。私が覚えている最後のひどい赤面は大学1年の初め。先生が「ケクレって知っていますか?」と質問したとき、クラス15人全員が押し黙っているので、何も反応しないのは先生に失礼だと考えた私が「はい」と手を上げたら、「ケクレは何をした人ですか?」「惑星の公転の法則を発見した人です。」「それはケプラーですね。」《そうだった。ケクレは今初めて聞いた名前だ》と思うと、恥ずかしくて真っ赤になった。親世代の年齢の先生は、耳まで赤くなった私を不憫に感じたのか、「間違っても恥ずかしがることはないですよ」と優しく執り成してくれた。