私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

インフルエンザ

キリコ

 1957年(昭和32年)はインフルエンザの大流行の年だった。当時は『流行性感冒』といった。略して『流感』。今は新聞に『インフル』という略語が書かれるが、『流感』だと2字で済む。なぜ『インフルエンザ』に変わったのだろう? 57年は春にも流行があったらしいが、K小学校で級友がかかったという話は聞かなかった。秋以降は学級閉鎖や学校閉鎖が全国で起きた。全国で300万人の患者が出て、5700人死亡したそうだ。世界の死亡者は200万人。

 S小学校も数日間休みになった。感染病の流行で学校が休業になるなんて、初めての経験だ。私も妹のマイコも罹患し、高熱が出て寝込んだ。両親は感染しなかった。既に免疫を持っていたのだろうか? 布団に寝ていると何もできないので、退屈しのぎにラジオをかけることにした。テレビは夕方まで放送しない。NHKラジオ第1で、『一丁目一番地』や、『七色の声』の持ち主の中村メイコが1人で何役もの声を出すドラマなどを聞いたが、どれも面白くない。普段は放課後夕食までの時間を、友達と遊ぶか、机の前で独りで絵や字をかいて楽しく過ごすのに。起き上がれるようになるや、家の廊下でネグリジェのまままりつきをして遊んだ。外に出る元気はまだなかったから。家の中でまりつきをしたのはこのときだけなので、鮮明に覚えている。中学2年の3学期にも学級閉鎖があった。学級閉鎖の経験はその2回。

 級友の妹が腸チフスになったとかで、姉の彼女もしばらく学校に来なかったことがある。隔離のために家族全員が家に閉じ込められた。当時腸チフスは『法定伝染病』だった。長期間学校に来ない子もいて、その間に転入した私は、彼女が復学したときが初対面。虚弱なので気候が穏やかな静岡県の療養所に入っていたという。おっとりした子で、しゃべり方もゆっくり。東京弁の速さに苦労していた私は彼女の話が聞き取りやすくてうれしかった。「おリンゴ」と言って周りに笑われても、平気でにこにこしている。 

  

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