私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

美空ひばり

キリコ

 遠足も、S小学校は1クラス1台の観光バスをチャーターする。兵庫県のK小学校ではいつも電車だった。京都の寺巡りだった最後の遠足を除いて。バスの乗車前に、希望者に酔い止めの薬が配付される。私はもちろんもらうが、粉薬なので口の中全体に広がり、水を何回飲んでも薬の苦みが取れなくて不快だった。でも薬のおかげで車酔いせずに毎回楽しい一日を過ごせた。S小学校の児童は遠足にお小遣いを持ってきて、家族に土産を買う。この点もK小学校と違う。「名物にうまい物なしやから、お土産はいらん」と父が言うので、私は絵葉書を買うことにした。カメラを持っていないからよい記念になると、高校までいつも絵葉書を買ったが、その後見返したことはほとんどないまま、引っ越しのときに処分してしまった。当時の絵葉書はモノクロの写真に後から彩色したものだ。青色の屋根が赤く塗られていてびっくりしたことがある。

 バスガイドの話が面白くて、バスを降りての実地見学より、バスの中でガイドから受けた説明の方がよく覚えている。『目黒のさんま』の話を初めて知った。私は父と一緒に落語をテレビやラジオでよく聞いていたが、上方落語だからか、『目黒のさんま』は初耳だった。皇居の半蔵門の前を通ったときは、「象が大き過ぎて半分しか入らなかったので、ハンゾウモンという名前になりました」の説明に興味をそそられた。服部半蔵が警備したからだという説は後に知った。横浜を走っているとき、「この近所にひばりちゃんの家があります。」 美空ひばりを雲の上の人だと思っている私は、その家の近くまで行けるなんてさすが東京だと感動する。私が転校する少し前に、彼女はファンに塩酸を掛けられてメディアが大騒ぎした。

 当時二十歳の美空ひばりに、ガイドがちゃん付けするのには違和感を持った。ひばりと同い年くらいのガイドにとっては『ちゃん』が自然だったのだろうが、10歳の私から見るとれっきとした『おばさん』だ。テレビドラマの『月光仮面』も、二十歳そこそこで『月光仮面のおじさん』と呼ばれている。《『おばさん』に『ちゃん』とは!》 ちなみに現在78歳の私は、小学校や中学校のクラス会に行くと、男性から『キリコちゃん』か『キリちゃん』と呼ばれる。誰も不自然に思っていない。小中学生時代は『中澤さん』だったのに。女性は今も昔も、『キリコさん』、『キッコさん』と呼ぶ人が多い。

美空ひばり:Wikipediaより

×

非ログインユーザーとして返信する