私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

推し

 3年生の2学期に転入してきた高野さんは、私の憧れの人になった。彼女はオーラがあるのか、転入早々から数人の女子に取り巻かれ、私はなかなかそばに近づけないのだが、家が近いこともあって、放課後にときどき2人で遊んだ。算数が得意の私に一目置いてくれたようだ。4年生になって彼女の誕生パーティーに私も呼んでくれた。友達の誕生パーティーに招かれたのは、80年近い人生でこの一度だけである。学校では取り巻きの中にいるから、話す機会はほとんどなく、彼女とたまたま目を合わせることがあると、「今、高野さんと合図を送っててん」と立川さんに言う。立川さんは真偽を確かめようとしないし、他言もしないので、私はいつも気楽にうそがつける。
 高野さんは私にとって最初の偶像で、2人目は中学校の同級生である。以後は誰にも欠点があることに気付いて、『推し』はなし。全ての面を是だと思える人間しか崇拝できない。尊敬する人は誰かという問いに、「いない」と答えたら傲慢だと思われそうなので、「聖徳太子」とずっと答えてきた。知情意に優れ、真摯に政を行った人物で、彼男の欠点を聞いたことがないから。大昔の人はぼやけている分いくらでも美化できるし。
 私の転校後、高野さんとは、大学時代と上の子が1歳の頃の2回会った。今も賀状交換を続けている。

聖徳太子:四天王寺のHPより


トリモチ
 活発なクラスメートについていけない私は、同じくギャンググループからはみ出したおとなしい男の子達とも仲良くなった。3・4年男子のギャング度は女子よりひどい。少しもじっとしていなくて、けんかっ早い。階級社会を形成するのも男子の特徴だ。運動能力ゼロで腕力もない私は、男に生まれなくてよかった。
 姉が2人いて末っ子のシュンペイちゃんは、幼稚園から4年生まで同じ組だった。子供用自転車を持っている。私の周りで自転車を持っている子は彼男だけだ。両親にとって待望の男の子なので、甘いのかもしれない。あるいは、姉と一緒におとなしく遊んでばかりいる彼男の運動能力を伸ばすためか? 私も彼男の自転車に乗ってみようとしたが、サドルに座るとぐらぐらして横に倒れそうで、ペダルに足を掛けるなんてとんでもなかった。彼男はホッピングも持っていて、「ホッピングに乗れんと自転車に乗れへんよ」と言うから試してみたが、全く駄目。私が道路に棒で線を描いて、「この線の通り走って」と言うと、彼男は線の上を上手に走った。しかし後輪は大きく外れていた。前輪と後輪の通る場所が違うことを発見して驚いた。シュンペイちゃんのお姉さん達とも家の中で遊ぶ。お姉さん2人は弟と遊ぶより楽しいらしく、色紙やビーズや端切れで作った人形などを遊びに行くたびにくれた。
 大山君は、名前と正反対の小柄な子だ。彼男は私と遊ぶのが目的ではなく、私の持っている本を読みにしょっちゅう我が家に来る。「今ごはん食べてるさかい」と母が言うと、「ほな部屋で待ってる」と上がり込んで、読書に没頭する。あるとき、「わたしと相撲して勝ったら、本を読ませたげる」と言って、相撲を始めたら、何回やっても私の勝ち。彼男が「プロレスごっこにしよ」と提案した。相撲からレスリングに変えたら、さすが男の子、あっという間に倒されて、胴締めされたり、私は全く歯が立たなかった。
 シュンペイちゃんと大山君と3人で、虫捕りに出かけたことがある。2人は虫捕り網、虫籠、トリモチなどを用意してきた。私は初めてだから、手ぶらでついていく。林のような場所に到着したとき、トリモチが私の髪に付いてしまった。固まった髪に手を触れると、手もべたべたする。泣きべそをかく私に、シュンペイちゃんは責任を感じたのか、私をおんぶしてくれた。彼男は大柄だが、さすがに私は重過ぎて数歩しか歩けなかった。結局虫を1匹も捕らずに、2人に慰められながら帰宅した。人生ただ一度の昆虫採集の機会を棒に振ってしまった。
 昆虫に興味のない私は、低学年の理科のテストで、知っている昆虫の名前を列挙せよという問題が出たとき、「虫の声」の歌の歌詞に出てくる虫の名前を書き連ねた。日本人は虫の音を左脳で認識するそうだが、私は外国人と同じ右脳なのかもしれない。左脳は言語脳、右脳は音楽脳と呼ばれる。

ホッピング:イラストAC

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